写真資料から見た近代奄美大島のカトリック

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タイトル別名
  • Catholicism on modern Amamioshima Island as seen in photographic materials

抄録

<p>写真資料は写真機の発明と普及に伴って出現し,近現代が対象の諸分野で有効な一次資料として使用されている.奄美大島については渋沢フィルムを用いて近代の奄美大島の景観について検討した研究(須山 2007)や,近代地方都市の景観写真の構図分析の試論を展開した研究(麻生ほか 2019)がある.写真資料は奄美大島をはじめとする離島の近代の景観復元や分析において有効であるが,同時に研究の蓄積が望まれる.そこで,本発表では名瀬町を事例に近代の奄美大島におけるカトリックの状況について写真資料を通して再検討する.使用する写真資料は聖アントニオ神学院(東京都世田谷区)の図書館所蔵で,2018年2月に調査・閲覧を行った.聖アントニオ神学院に所蔵されている奄美大島のカトリックの写真資料は507点,うち名瀬町のものが142点である.内訳は名瀬聖心教会関連が80点,大島高女関連が62点となっている.奄美大島では1891年に宣教師の来島とともにカトリックが広まり,1930年ごろには島の北東部に14か所の教会が設立され(図1),およそ4000人の信者を獲得した.名瀬町は奄美大島の政治,経済の中心地で,カトリック布教の拠点でもあった.同町には1922年に名瀬聖心教会が建立され,その2年後には大島高等女学校(以下,大島高女)に開校した(図1).名瀬聖心教会の写真資料は(1)司祭・宣教師の近影,(2)信徒の集合写真,(3)教会関係の行事に分類され,大半のものにキャプチャーが付いており,50点の撮影年次が明らかになっている.また,内容が重複する写真が19点である.いくつかの特徴を述べると,(3)のうち約10点は1920年代の聖体行列関連の記録用に撮影されたと思われる.聖体行列はカトリックにとって非常に重要な行事である.行列が町中を行く様子が撮影されており,当時の名瀬町の景観が写りこんでいる.また,名瀬聖心教会の建物写真も数点あり,同時代の観光土産の絵葉書に写る名瀬町の景観写真と併せて確認することにより,同町の景観の中での教会建物のインパクトを確認することもできる.一方,大島高女の62点の写真のうち12点が絵葉書であり,大島高女が名瀬町の主要なアピールポイントであったと推測される.絵葉書の多くは校舎を写しているが,中には授業風景を写したものもある.絵葉書の発行元は名瀬町議員を務め,大島高女設立を後押していたカトリック信者経営の会社である.なお,奄美大島では1933年頃から大島高女の廃校運動に端を発するカトリック排撃が本格化するが,そのわずか1年前に名瀬聖心教会の付属幼稚園の園児が名瀬町の合同運動会に参加した際の写真も残されている.近代という時代は1年単位で社会状況や政治情勢が目まぐるしく変わる時代であったが,逆に言えばこうした教会関連の写真資料はカトリックと地域社会との関係が短期間で大きく変化した事実を鮮明に物語るのである.</p>

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390849376473629440
  • NII論文ID
    130007949204
  • DOI
    10.14866/ajg.2020a.0_181
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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