高山寺明恵上人七百年遠忌点描2 ―原富太郎(三溪)―

書誌事項

タイトル別名
  • Sankei HARA and Kōsanji -Temple
  • コウサンジ ミョウエ ショウニン ナナヒャクネン オンキ テンビョウ(2)ゲン フ タロウ(サンケイ)

この論文をさがす

抄録

近代日本における実業家・古美術コレクターとして著名な原富太郎(三溪、1868年 -1939年)と高山寺との関係について、絵画作品の点から考察した。三溪は高山寺の中興開祖である明恵上人の七百年遠忌(1931年)に、六祖慧能像を描き寄進した。その画は、彼が模写した高山寺所蔵の明恵上人像や高山寺印のある出山釈迦像と同様に、3点の特徴を持つ。  1 .極度の苦行の跡を示さない 2 .冥想・坐禅する姿ではない 3 .光彩を放ち崇拝される姿ではない 彼の描いたこれらの仏教画は一種の自画像であり、シビアな生糸業界で得た人生観と蒐集した古美術の美によって洗練された仏教(美術)観のあらわれであった。それは当時の高名な禅僧たちも高い境地として認めるレヴェルに達していた。また、六祖慧能像に寄せた賛「本来無一物」を彼は心にとどめ、この語が具現化した長次郎作の茶碗「無一物」を入手し愛用した。三溪は、明恵上人や禅僧たちのように坐禅を行わなかったが、高山寺所縁の作品を手元に置き、模写し、自身の投影として画を描くことで高山寺や明恵上人を自らに近しいものとし続けていた。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ