-
- 藤本 晃
- Visiting Professor, Hiroshima University, Ph.D.
書誌事項
- タイトル別名
-
- How the Self Is Extinguished: Meanings of “Mine, I (Me) and My Self”
この論文をさがす
説明
<p>仏教の見方では,「我」は永遠不滅の実体ではなく自分の心身を「私」とか「私がいる」などと執着することから生じる誤解にすぎない.それゆえ,仏教では無我という.</p><p>無我は,執着も無明も全て滅した最後の第四の悟り・阿羅漢果で完全に証得される.</p><p>しかし,悟りに四段階があるように,無我の証得にも段階があるのではないだろうか.三通りに言い換えられる無我の定型句「これは私のものではない.これは私ではない.これは私の我ではない」が,無我の段階を示すと予想し,検討する.</p><p>「私のもの」という執着は,悟りの第三段階・不還果で滅し,「私」という執着は,最後の完全なる悟り・阿羅漢果で滅する.</p><p>では,最後の「これは私の我ではない」は何を意味するのだろうか.筆者は,「悟りもまた我ではない」と了知した解脱智見・滅尽智という正見を意味すると考える.「諸行無常」,「一切行苦」に対して「諸法無我」といわれるのは,有為法のみならず無為法たる解脱・滅を含めた「すべての法が我ではない」のである.</p>
収録刊行物
-
- 印度學佛教學研究
-
印度學佛教學研究 69 (3), 1019-1026, 2021-03-25
日本印度学仏教学会
- Tweet
詳細情報 詳細情報について
-
- CRID
- 1390852252714024192
-
- NII論文ID
- 130008085271
-
- NII書誌ID
- AN00018579
-
- ISSN
- 18840051
- 00194344
-
- NDL書誌ID
- 031423306
-
- 本文言語コード
- ja
-
- データソース種別
-
- JaLC
- NDLサーチ
- Crossref
- CiNii Articles
- OpenAIRE
-
- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可