F.ナイチンゲールの近代看護の確立 : 科学とキリスト教信仰という内的矛盾を抱えて

書誌事項

タイトル別名
  • Inner contradiction of Florence Nightingale and the conformation of modern nursing : through reformation of public hygiene in London and Barrack Hospital at Scutari
  • F. ナイチンゲール ノ キンダイ カンゴ ノ カクリツ : カガク ト キリストキョウ シンコウ ト イウ ナイテキ ムジュン オ カカエテ
  • F.ナイチンゲールの近代看護の確立 : 科学とキリスト教信仰という内在的矛盾を抱えて
  • F.ナイチンゲール ノ キンダイ カンゴ ノ カクリツ : カガク ト キリストキョウ シンコウ ト イウ ナイザイテキ ムジュン オ カカエテ

この論文をさがす

抄録

19世紀中頃のロンドンには大飢饉を逃れたアイルランド人をはじめ各地域からの移住者がテムズ川河口付近や南側の地域に住み着いた。汚物と悪臭に満ちたその一帯には疫病が蔓延していた。貧しい病人を救済するべくカトリックやプロテスタントの修道女が奉仕活動を始めた。また救貧院や総合病院が拡充され、医学校の開設が相次いだ。ナイチンゲールはこうした社会の変化に心を動かされ、看護に関心を抱くが、1852年まで両親の反対によって外出の自由が奪われ、看護への道が閉ざされてしまった。しかし、8年に及ぶ自室にこもって自学したことは公衆衛生学や薬学などから宗教哲学や近代思想などに及んだ。特に、チャドウィックの「瘴気説」は彼女に大きな影響を与え、スクタリの陸軍病院の衛生改善や国内の近代的病棟の設計に優れた実績を残す基となった。それは、また、ナイチンゲール自身の熱いキリスト教信仰と深く結びつけられ、彼女の看護論の中に根強く生き続けた。そして、このことは看護師に必須の「仕事における三重の関心」(1893年)として集約され、病院での看護の優越性と医療の核となって働く看護師の重要性を主張するに至った。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ