「日本的」美的概念の成立 : 能はいつから「幽玄」になったのか?
書誌事項
- タイトル別名
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- The Formation Process of "Japmanese" Aethetic Concepts : When Did Noh Become Associated with the Word Yūgen
- ニホンテキ ビテキ ガイネン ノ セイリツ ニ ノウ ハ イツカラ ユウゲン ニ ナッタノカ
- ニホンテキ ビテキ ガイネン ノ セイリツ ノウ ワ イツ カラ ユウゲン ニ ナッタ ノ カ
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説明
現在、能といえばすぐさま「幽玄」という言葉が想起されるほど、両者は固く結びついている。なるほど、世阿弥が残した能楽書には「幽玄」という言葉がたびたび使われている。だが、「幽玄」は、能の世界では長らく忘れ去られていた言葉であった。それでは、能と「幽玄」は、いつから、どのようにして、結びついたのだろうか。本論稿はこの点を明らかにすることを目的とする。 本論稿で明らかになったことを以下に列記する。 ① 「幽玄」という言葉の原義は、「深遠・微妙・はかりがたい」といった意味であった。院政期以降は、「優美・典雅」といった派生的な意味も見られるようになる。世阿弥の使用した「幽玄」もこの意味に近い。江戸時代、一般的に用いられる場合には原義で用いられていたと考えられる。明治時代以降は、派生的な意味が完全に消失し、原義でしか用いられなくなった。 ② 明治以降の文学史において、「幽玄」と評される対象は、芭蕉→『新古今集』→能というように推移した。現在ではほぼ能に限定して使われている。 ③ 能と「幽玄」が結合し、<能=「幽玄」>という図式が出来上がるまでには、少なくとも五つの要因が必要であった。その要因とは、(1)吉田東伍による『世阿弥十六部集』の発見と、世阿弥評価の高まり、(2)象徴手法を用いた文学作品として芭蕉の俳句、『新古今集』の歌への関心が高まった結果、中世、「幽玄」に注目が集まるようになったこと、(3)能楽研究が進展した結果、研究者によって、「幽玄」という理念の解明が積極的になされたこと、(4)岩波書店の人脈網と出版戦略、(5)家元による積極的な発言と行動(とりわけ観世寿夫の役割が大きい)、であった。 概括すると、大正末期から昭和初期にかけて能楽と「幽玄」の関係がさかんに論じられるようになり、昭和初期にかけて能楽と「幽玄」の関係がさかんに論じられるようになり、昭和一〇年代にそれが固定化し、それが現代にも引き継がれたのである。
収録刊行物
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- 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
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日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 31 69-114, 2005-10-31
国際日本文化研究センター
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390853649700802944
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- NII論文ID
- 120005681570
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- NII書誌ID
- AN10088118
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- ISSN
- 24343110
- 09150900
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- HANDLE
- 11094/23287
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- NDL書誌ID
- 7856224
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- 本文言語コード
- ja
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- 資料種別
- departmental bulletin paper
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- データソース種別
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- JaLC
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用可