書誌事項
- タイトル別名
-
- The Adaptation of Chinese Style in Japanese Zen Temple : A Study of Jikkyo
- ニホン ノ ゼンイン ニ オケル チュウゴクテキ ヨウソ ノ セッシュ ジッキョウ オ チュウシン ト シテ
この論文をさがす
説明
鎌倉時代末から室町時代にかけて、京五山・鎌倉五山をはじめとする禅宗寺院では、中国文化への憧憬・宗教的需要・修行環境の美化などの点から境致、特に十境の選定が盛んに行われた。しかし、十境は日本の禅院に発生したものではなく、南宋以降、五山をはじめとする中国の禅院で行われていたのである。 禅院の十境選定に与えた「十詠」「十題」の影響は見逃すことができない。当時、「十詠」「十題」といった形の詩や偈が文人・禅僧を問わず広く作られていた。禅僧による禅院の十境選定もこうした影響を受け、文人らとの交流を通じて作り出されたものと考えられる。 中国で派生した瀟湘八景図や八景詩が入宋僧・入元僧や渡来僧によって日本に将来されると、八景図も八景詩も一種のパターンが形成されていった。日本の禅僧はこの様式をもとに「○○八景」を選ぶようになり、やがてこうした「八景」選定のパターンが禅院の境致の選定にも移植されていった。十境と同じく、禅院の八景も境地選定の一種だと考えられる。 日本の禅院の十境選定は、初期の頃、渡来僧や入元僧を中心に導入されたが、その後の日本の禅院への普及には、日本の禅僧の果たした役割が大きい。また、『扶桑五山記』や『宗派目子』などには、五山だけでなく、十刹・諸山にも十境の記述が見える。すなわち、十境は五山・十刹・諸山など、等級の別なく選ばれており、その選定には渡来僧や入元僧あるいは日本の高僧が加わっていた。さらに、十境は「天造地設」のものではなく、禅僧の「胸次」を表すものだったのである。 本稿は「十詠」「十題」「瀟湘八景」に、禅院の十境・八景選定のルーツを求め、その日本の禅院における発達を論じてきた。しかし、塔頭や林下、それに曹洞宗の禅院における十境の選定については、さらなる検討が必要である。
収録刊行物
-
- 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
-
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 23 13-51, 2001-03-31
国際日本文化研究センター
- Tweet
詳細情報 詳細情報について
-
- CRID
- 1390853649700843776
-
- NII論文ID
- 110000509874
-
- NII書誌ID
- AN10088118
-
- ISSN
- 24343110
- 09150900
-
- NDL書誌ID
- 5842011
-
- 本文言語コード
- ja
-
- データソース種別
-
- JaLC
- IRDB
- NDL
- CiNii Articles
-
- 抄録ライセンスフラグ
- 使用可