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タイトル別名
  • Ancient Japanese Creation Myths
  • 人間(ひと)と成る
  • ヒト ト ナル

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抄録

この論文は、古代日本人が、人間の生成をどうとらえたかを考える。  日本神話は、人間の創造を直接語ることはない。しかし、比喩的であるにしても、その語りの狭間から、人間の生成譚が見え隠れする。  国常立尊の生成譚はそのひとつであった。それのみならず、可美葦牙彦舅尊の生成譚においても、また、さらに多くの神々の生成譚においてもそれは潜在し、含みもたれる。日本神話において、人間の生成は、神の生成や国の生成と齟齬するものではなかったと見ることができる。  その生成の根源は「物」に求められた。先ず「物」が生成し、その「物に因りて」、神や人が成るというのである。それは「物実」による生成の論理として一括することもできるが、そのもっとも始源的に語られる「物」は、器物や動物や植物などではなく、「形貌言ひ難」い、非形の形(状)と言うべきものであった。ありとあらゆる生成のエネルギーが凝集して、軟弱に浮動してやまぬものであり、さまざまな生命力の身分偏在する混沌の状態を言うのである。その「物」が凝り、あるいは、分くことによって人間の生成は保障される。  それは古代日本人が人の身の「実(核)」(さね・むざね)を時に神とうけとめ、時に蛇や鰐などの動物とうけとめ、あるいは、桃や瓜の実などの植物とうけとめるに到る意識の基胎にあったものと思われる。また、古代中国において天地宇宙の生成と人間の生成が実質的にとらえられ、その根源を「気」によって説くあり方と類比的であることも認められるし、仏教における身の能造の論理、つまり、「地」「水」「火」「風」の四大の因種が和合して人間となるという論理を享受することの深淵の台座と成った意識であったと思われる。

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