日本古代の王権と道路 : 大和・河内東西道に関して

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  • A Hisrorico-geographical Study on Ancient Roads viewd from the Establishment Process of the early Sovereignty in Japan
  • ニホン コダイ ノ オウケン ト ドウロ ヤマト カワチ トウザイ ドウ ニ

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抄録

小稿は、空間的属性である道路から、日本古代の王権の一端を探ろうとするものである。ここで対象とする道路は大和から河内に通ずる「南の横大路」―竹内街道と「北の横大路」―長尾街道である。「ミチ」という言葉の原義は、「ミ」+「チ」で、「ミ」は接頭辞で神など聖なるものが領するものにつくという説にしたがえば、「ミチ」は本来神に結び付くものであった。  「南の横大路」の東端の延長線上に神の山、忍坂山が、「北の横大路」の東端には和爾下神社が位置することは「ミチ」の語義にかなう。忍坂山のあたりは息長氏の大和における本拠地であり、和爾下神社はワニ氏によって奉斎されたものである。したがってこの両道は大王家の外戚氏族である息長・ワニ氏に関わるものとみられる。以上のことから両氏あるいは関係氏族から皇妃を入れた大王の墳墓が、河内の竹内・長尾街道沿いにあることが伝承されることが説明でき、同時に河内王朝論には慎重にならざるをえないと考える。

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