東日本大震災後の離島漁村の過疎化と高齢化 : 宮城県塩釜市浦戸諸島の事例

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タイトル別名
  • Depopulation, Aging Trends after the Great East Japan Earthquake in Fishing Communities : The Case of Urato Islands in Miyagi, Japan
  • ヒガシニホン ダイシンサイ ゴ ノ リトウ ギョソン ノ カソカ ト コウレイカ : ミヤギケン シオガマシウラド ショトウ ノ ジレイ

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説明

本稿では、宮城県塩釜市浦戸諸島を事例に、過疎化と高齢化が進んだ離島漁村が、東日本大震災後、その傾向に一層拍車をかけ、5年後、10年後、20年後に起こると考えられていた事態を、前倒しして「いま・現在」に現出させていること示す。浦戸諸島の人口と世帯の流出をもたらした何よりも大きな要因は、養殖業の衰退である。こうしたなかで、本土に通勤する給与生活者が増加する。だが、離島であるがゆえの不利性は、通勤や通学を困難にした。さらに、特別名勝松島の景観を保護するための法律の規制は、観光地化を妨げているだけでなく、住民の生活にとっても障壁になっている。震災後の浦戸諸島は、対岸の松島を津波から守った松島湾の島々としてメディアで紹介されて、全国から多くの支援が集まった。こうした外部団体の支援は、住民とのあいだの合意形成が必要である。それには、桂島、野々島、寒風沢島、朴島という4島にある5つの地区の多様性と個性を理解することが不可欠である。浦戸諸島は、塩釜市浦戸地区であり、行政からは4島5地区はひとつと位置づけられる。だが、実態としては、浦戸諸島は4つの島にある5つのムラの連合と言ってよい。今日ではムラの内部も多元化しており、漁業従事者と給与生活者、地域おこしをめぐる温度差、年代や性別による違いのため一律ではない。さらに、震災は、被害程度の大小による差異をもたらした。過疎化と高齢化を地方社会にもたらした要因が、農林漁業の衰退にある以上、震災後の復興にとって、地区内の自助や共助、外部団体や基礎自治体の支援だけでは限界がある。こうした地方社会の衰退をもたらした要因に目を向け、その方向を転換しない限り、震災前の状況に戻しても、人口流出がとまるわけではない。被災地の復興は、日本の農業や林業や水産業をどのように展開していくかという国策を問う試金石になっている。東日本太平洋沿岸部の農山漁村の小さなムラのひとつひとつの再生に、日本の地方社会のゆくえを探ることできる。

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