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- 角南 聡一郎
- (公財)元興寺文化財研究所総括研究員
書誌事項
- タイトル別名
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- Aspects of Japanese Headstones on the Asian Continent : Records and Research History
- アジア ニ オケル ニホンジン ボヒョウ ノ ショソウ : ソノ キロク ト ケンキュウシ
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抄録
開国後の近代に, 日本人は世界各地に大量に移住・移動するようになった。移住先で亡くなった場合に, 多くの場合は日本人墓地という独立した区画を形成し, 埋葬され墓標が建立された。本稿では, 特にアジアにおける日本人の墓地墓標についてそれらの記録や研究について概観し, その上で各地の墓標形態を中心に検討を試みた。墓標はそれぞれの民族性を反映することが知られ, その形態は国々で異なっている。日本でもこれまで独自の墓標が建立されてきた。後述する「日式墓標」がそれである。移住先でも当然ながら母国同様に「日式墓標」が建立されるのが普通である。また, 旧植民地である戦後台湾では, 戦後も台湾人の墓に日式墓標が採用され展開することが知られる。この現象が極めて特異なものであることを確認するためにも, 他の旧植民地や非植民地へ移住した人々の墓標との比較が肝要だと考えた。アジアの植民地, 非植民地の事例からすると, 日本人は日式墓標を採用した。戦後の旧植民地では日本人の墓標は破壊, 処分されるなどして姿を消した。台湾同様に朝鮮でも同化政策が実施され, 日本文化の押しつけがなされた。しかし, 戦前に日式の墓標が建立されたということは寡聞にして聞かない。韓国では少数の墓標が現存もしているが, そのかたちをわざわざ採用しているという例を知らない。非植民地では日本人はマイノリティーであり, 墓標は日本式のものであることがほとんどであるが, 現地の墓標のかたちを採用するものが少なからずあった。これは現地社会との関係や同化の過程を示すものと考えられる。台湾では日本に起源をもつ日式墓標が, 戦後も形を変えながらも継続して建立され続けている。このような現象がおこったのは台湾だけである。その理由は単に墓の面積が少ないという経済的理由や, 火葬にマッチしたかたちであるというものだけだったのだろうか。台湾では意識されなくとも, 具現化される過程で日本の文化やイメージの残像が潜んでいたのではなかろうか。戦前から戦後の台湾と日本の関係を考察する場合, 意識される部分は当然ながら無意識の連続もあり得るということが, 墓標という物質文化をして物語ることができると考えられる。
収録刊行物
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- 人文學報
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人文學報 108 3-20, 2015-12-30
京都大學人文科學研究所
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390853649773950336
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- NII論文ID
- 120005704195
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- NII書誌ID
- AN00122934
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- DOI
- 10.14989/204513
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- HANDLE
- 2433/204513
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- NDL書誌ID
- 027061945
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- ISSN
- 04490274
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- IRDB
- NDL
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用可