虚構原則への誘い --寺山修司『あゝ, 荒野』を読む--

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タイトル別名
  • Verführung zum „Fiktionsprinzip". Versuch, „...Vor meinen Augen...eine Wildnis..." Shuji Terayamas zu verstehen
  • キョコウ ゲンソク エ ノ サソイ : ジサンシュウシ 『 アア,コウヤ 』 オ ヨム

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抄録

寺山修司の作家としての活動は, 通例ふたつの時期に分割される。一つはその前半を彩る短歌の時期であり, もう一つは後半を占める演劇の時期である。1954年に中井英夫に見出された『短歌研究』でのデビューから, 単独歌集としては最後のものになる1965年の『田園に死す』までの期間を寺山の短歌の時代と呼ぶとすれば, 1967年の「演劇実験室天井桟敷」の旗揚げから1983年の没年に至るまでの彼の後半生は演劇の時代と呼べるだろう。しかし, 本稿ではこの二つの時期に挟まれて存在する空白の一年に注目したい。というのも, この年, 1966年に寺山の唯一の長編小説『あゝ荒野』が出版されているからであり, また, この作品を検討することによって, 寺山の活動がこの時期に短歌から演劇へと移行していく様子を具体的に見て取ることができると考えられるからである。とはいえこの点を探っていく場合, 第一に検討されるべきは短歌, 演劇, 小説という三つのジャンルにおいて寺山が一体なにを目指していたのかということ, すなわち寺山における個別のジャンルの特異性である。これを本稿では, 短歌における「全体文学」, 演劇における「出会い」, そして小説における「虚構原則」として際立たせていく。短歌における全体文学の希求は, 複製技術による個々人の情念の画一化に直面して挫折する。寺山における短歌から演劇への移行の必然性はここに求められる。その意味において, 小説の特徴として取り出された「虚構原則」とはまた, 上記三つのジャンルの移行として実現する寺山の作家活動を通じて, 一貫した原理として見出されるものでもある。このことは, 本論において示されるように, この小説の二人の主人公, バリカン建二と新宿新次が, それぞれ寺山における短歌的人格と演劇的人格を表現している点から確証されることになるだろう。

収録刊行物

  • 人文學報

    人文學報 112 1-26, 2018-06-30

    京都大學人文科學研究所

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