<論説>妙法院門跡堯恕法親王とその時代

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  • <Articles>Prinz Gyojo 堯恕 der Tempeldirektor des Myohoin 妙法院 und seine Zeit
  • 妙法院門跡堯恕法親王とその時代
  • ミョウホウイン モンゼギョホウシンノウ ト ソノ ジダイ

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抄録

御水尾天皇皇子堯恕法親王は江戸初期、天台宗の名門、京都東山の妙法院門跡として四十年近くその地位にあり、覇気に富み、宗門教義に精通し、当時皇族公家の中でも稀にみる深い教養と、書道・絵画・詩作など多方面の特技を有し、数々の著作と作品を遺された。天台座主として在任約二十年におよび、その間、江戸幕府の朝廷公家に対する強圧政策を身近に感じて憤激と慨歎をくりかえしながらも、朝権の名誉回復、天台宗伝統の栄光保持のため精一杯の活躍をなした。その詳細を親王の三十余年にわたる日記を通じて窺うとともに、十七世紀後半の時代相の一端をも明かにしたいと思うのである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 56 (4), 491-535, 1973-07-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

被引用文献 (1)*注記

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