<論説>近世京都における町入用節減令と町

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タイトル別名
  • <Articles>Laws Curtailing Town Operating Costs and the Reaction of Towns in Kyoto during the Early-Modern Period
  • 近世京都における町入用節減令と町
  • キンセイ キョウト ニ オケル マチ ニュウヨウ セツゲンレイ ト マチ

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抄録

町入用とは、家持町人が所持屋敷の規模に応じて支出する町の運営費であるが、一七世紀後半以降は貨幣経済の進展と町内の公共業務の増大によってその負担額は年々増加していた。幕府は、町入用の増加によってそれを負担する家持町人の経営圧追を懸念して、その節減を命じる町入用節滅令を繰り返し出した。こうした町入用節減令は、家持町人の自治による町役の遂行を前提にして町入用の節減を期待したものであった。しかし、幕府の期待通りに町役の貨幣化と代理化は止まらず、町入用節減令はその変容を迫ったのであった。その結果、寛政期になると、町側の町入用節減を誘導するため、町人の負担軽減を伴う実質的な対応策を提示するなど、町入用の節減政策の変化が窺える。こうした政策変化は、町役の貨幣化によって町が負担する治安や火消などの公共業務の経済的費用が増加するにつれ、秩序維持などに必要な最小限の公共業務を遂行するための必要不可欠の措置であった。だとすれば、町入用節減令は、単に町側の経済的な負担を軽減させるための経費節減策に留まらず、都市支配の安定策としての意味を持っていたとも言えるだろう。 一方、町側の立場からすれば、町入用節滅令は行政経費の節減を求める町中の要求に符合する側面を持っていたので、法令が出されると、多くの町は町式目の制定・改定を行ってその費用節減に乗り出した。そして、町式目のなかには、家持町人だけではなく、彼らと雇用関係を結んでいる手代や小者の日常生活まで倹約や節減を要求する項目が多く確認される。即ち、町入用節減令の発令を契機に多くの町式目の制定・改定が行われ、倹約や節減の条目を積極的に取り入れたのは、家業経営者としての性格を強めていた家持町人の利害を町が代弁し、それを町式目に反映したからだと思われる。

収録刊行物

  • 史林

    史林 87 (3), 326-353, 2004-05-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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