<研究ノート>『柴田剛中欧行日載』より

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タイトル別名
  • <Note>Some Remarks on the "Shibata Takenaka Oko Nissai 柴田剛中欧行日載"
  • 「柴田剛中欧行日載」より
  • シバタゴウチュウオウコウビサイ ヨリ

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抄録

いわゆる両港両都開港土市延期交渉の為、竹内保徳を正使とする一行が、文久元年~二年 (1862~63) にわたり、欧州六箇国に派遺された。この一行は、それが鎖国のあと最初の欧行であり、かつ当時日本との間に最も外交上問題の多かつた英・仏・露 (樺太定境の目的もある。) へ使することからして、各国事情の偵探が、また大きな目的であつた。組頭柴田剛中の日記によれば、全行程は、(一)、往路、(二)、五箇国巡行、(三)、普仏再渡、(四)、復路に分けられるが、ここでは (一) を紹介する。江戸出発 (十二月二十二日) 後最初の外地香港には、事情探索に一週間の滞在をしているが、これには当時の米国の南北戦争の影響があつた。以後シンガポール (太平天国の乱を探る。) はじめ、英アジア政策上の要点を辿り、エジプト (トルコ領) を経て、マルセーユに到着 (三月五日) しているが、エジプトおよびマルタでは「仏器先後渡」の紛糾が起つた。これ等実際の体験により、一行の国際感覚は大いに高められた。

収録刊行物

  • 史林

    史林 44 (6), 909-925, 1961-11-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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