<論説>古代僧官考

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タイトル別名
  • <Articles>A Study of the System of Buddhist Government Priest in ancient Japan
  • 古代僧官考
  • コダイ ソウカンコウ

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抄録

六世紀後半に日本に伝えられた仏教は、物部氏の滅亡後、蘇我氏の主導のもとに興隆の一途を辿るが、これまで傍観的立場にあった公権力 (天皇) の側からの仏教 (僧尼•仏与) に対する規制の間題が生じてくる。推古天皇による僧官設置は、その端初であったが、舒明の時代において、天皇家の仏教需要=宮廷仏教が開始されるに及び、天皇における「公的」な仏教統制と「私的」な仏教受容とがからみあい、これに対応する「佐官」が設けられ、また蘇我氏滅亡直後の大化には、政治的配慮による十師や寺主・法頭の任術があった。天智の時代の僧官は、僧正 (長行)-僧都 (次官)-法頭 (判官)-佐官 (主典) の四等官の職制をとっていたが、俗官による僧団統制を非難する『仁王経』の国家的重用の時流におされ、天武の時代において、俗人の法頭を退けて律師を置き、後の僧綱制の原形を整えたのである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 47 (1), 43-67, 1964-01-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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