<研究ノート>東寺供僧供料荘における年貢収取体系の発展と停滞

書誌事項

タイトル別名
  • <Note>Development and Stagnation of Rent-Collecting System in Kuso-Kuryo-sho 供僧供料荘 of Toji 東寺
  • 東寺供僧供料荘における年貢収取体系の発展と停滞
  • トウジ グソウキョウリョウソウ ニ オケル ネングシュウシュタイケイ ノ ハッテン ト テイタイ

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説明

延応以来再興された東寺供僧供料荘の年貢収取体系は建長年間に確立する。現地の新たな動きにより、それはまもなく動揺し始めるが、むしろそれを足場に供僧の荘支配は発展し、口数・料荘も増加してゆく。その小劃期は文永弘安・永仁正安・正和文保・正中建武にあったと思われるが、一方その過程は公事年貢の銭納化・供僧経済への貨幣流通の浸透に伴い、従来の体系を支える人的関係が、貨幣を媒介とした計算高いものに変つてゆく過程でもあった。それは年貢収取を次第に代官請負に依存させてゆき、借上・山伏や現地の国人等がこれを通じて体系内に浸透してくる観応擾乱後、文和延文ころから現地の条件が一定の成熟をみるに伴い、代官請負は次第に体制化し、応安・明徳の劃期を経過し、室町期に入って一応安定する。供僧経済からいえば一種の停滞であるが、これらの過程を辿りつつ、「南北朝内乱革命説」、守護領国制を地域的封建制とみる見方に対する疑問をのべてみた。

収録刊行物

  • 史林

    史林 47 (3), 441-467, 1964-05-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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