幕末経世思想に関する一考察 : 漢学者野田笛浦を中心として

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タイトル別名
  • A Research on Keisei Thought in Late-Edo Period : In the Case of Noda Tekiho
  • バクマツ ケイセイ シソウ ニ カンスル イチ コウサツ : カンガクシャ ノダテキウラ オ チュウシン ト シテ

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抄録

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[要旨] 幕末の内憂外患の時代、明清時代の「経世済民」を源流として、「実用」に重きを置く経世思想は日本に伝来し、広く幕末の学者に影響を与えた。そして、漢学者を始め、多くの経世論者が現れた。この中で、漢学者野田笛浦も経世論を唱える一人であった。野田笛浦(1799—1859)は、江戸時代後期の儒学者、および漢学者である。江戸の昌平黌に学び、文政 9 年(1826)に漂着した清国商船「得泰号」を送還する任務を幕府から命じられ、その清国船に同乗して長崎まで行った。この時に清人と筆談した記録をもとに『得泰船筆語』を著し、有名になった。その後、各藩に遊学し、晩年には田辺藩に戻り、藩政改革に尽力した。これまでの研究では、日中往来について、野田の『得泰船筆語』はよく取り上げられ、また彼の『海紅園小稿』は漢詩文集の優作として紹介されたが、経世論の視点から野田の論説を考察したものは管見の限りほとんど見られない。本論では、野田笛浦の学問受容、救済救民、対外関係などにおける論策を中心として、野田の経世思想を明らかにしたい。

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