ルーヴル美術館構想の萌芽 : リュクサンブール宮ギャラリーの開設とその機能(一七四七―一七五〇年)
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- 田中 佳
- 一橋大学
書誌事項
- タイトル別名
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- The Origin of the Idea of Creating the Louvre Museum : Foundation of the Royal Gallery of the Luxembourg Palace and its Function (1747-1750)
- ルーヴル ビジュツカン コウソウ ノ ホウガ : リュクサンブールキュウ ギャラリー ノ カイセツ ト ソノ キノウ 1747 - 1750ネン
- ルーヴル ビジュツカン コウソウ ノ ホウガ--リュクサンブールキュウ ギャラリー ノ カイセツ ト ソノ キノウ(イチナナヨンナナ-イチナナゴ〇ネン)
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説明
本論文は、ルイ十六世時代(一七七四―一七九二)に本格化したルーヴル美術館構想の端緒と位置づけられるリュクサンブール宮ギャラリーを考察の対象としている。一七五〇年に開設された同ギャラリーは、フランスで初めて国王コレクションを公開した場としてきわめて重要な意味を持っている。本論では、まず一七四七年にバショーモン(一六九〇―一七七一)やラ・フォン・ド・サン=ティエンヌ(一六八八―一七七一)が示した王立美術ギャラリー創設案の内容とその背景、そしてそれらの提案が同時代人に与えた影響について検討した。次に、この提案がリュクサンブール宮の王立美術ギャラリーの開設に結実するまでの経緯と、展示物の内容について詳述した。そのうえで、同ギャラリー内の「玉座の間」と呼ばれるフランス絵画の展示室に注目し、その展示内容に込められた政治的意図を分析しながら、同ギャラリー全体が当時の美術政策にとって重要な役割を担っていたことを示した。当時の王室建造物局総監ルノルマン・ド・トゥルヌエム(在任一七四五―一七五一)は、美術愛好家たちの提案を採り入れるかたちでこのギャラリーの開設を実現させたが、その一方では展示を通して物語画の復興を目指すとともに、「フランス派」を確立してその優位性を定着させようとした。その試みに即効性はなかったが、鑑賞者を意識しながら行政側の意図を伝達する手段として美術作品の展示を位置づけるという方策は、後に美術館計画を推進するダンジヴィレ(在任一七七四―一七九一)のモデルになったと考えられる。
収録刊行物
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- 一橋社会科学
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一橋社会科学 1 1-13, 2009-11-25
一橋大学大学院社会学研究科
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390853649796009600
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- NII論文ID
- 110007622471
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- NII書誌ID
- AA12187323
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- ISSN
- 18814956
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- DOI
- 10.15057/17820
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- HANDLE
- 10086/17820
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- NDL書誌ID
- 11120999
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- IRDB
- NDLサーチ
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用可