対朝鮮人絹織物移出と繊維専門商社の生産過程への進出

DOI 機関リポジトリ Web Site オープンアクセス

書誌事項

タイトル別名
  • The entry of Japanese trading companies into the rayon textile production
  • タイ チョウセン ジンケン オリモノ イシュツ ト センイ センモン ショウシャ ノ セイサン カテイ エノ シンシュツ
  • タイ チョウセンジン キヌオリモノ イシュツ ト センイ センモン ショウシャ ノ セイサン カテイ エノ シンシュツ

この論文をさがす

抄録

本稿では、繊維専門商社がなぜ人絹織物に関して、生産過程に進出し、自ら染色―織布工程を担うようになったのかを明らかにしようとするものである。1930年代には、絹織物産地として知られた群馬、石川、福井などが、人絹織物生産を開始し、人絹織物の輸出が増加した。しかし、日本産人絹織物は、苦情問題を多発させており、輸出を担っていた繊維専門商社は、海外の苦情問題に直面する。人絹織物生産の特徴は、産地の分業を組織化していたのが産地の問屋であったことである。つまり、繊維専門商社は、産地問屋から人絹織物の供給をうけるだけであった。このため、繊維専門商社は、産地の問屋によって苦情問題への対応に制約が課されたといえる。そうした制約への対応の1つが、繊維専門商社が直接に人絹織物生産をおこなうことであった。

収録刊行物

  • 經濟學論叢

    經濟學論叢 59 (1), 73-89, 2007-07-10

    同志社大學經濟學會

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ