日本の植民地責任と国民主体の形成

書誌事項

タイトル別名
  • Japan's Colonical Responsibility and National Subject Formation
  • ニホン ノ ショクミンチ セキニン ト コクミン シュタイ ノ ケイセイ
  • Japan's Colonial Responsibility and National Subject Formation

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説明

1990年代の日本では、冷戦の終結、アジア諸国の経済成長、昭和天皇の死などによって引き起こされた社会的状況の変化を背景に、日本の侵略戦争、植民地支配のもとで被害を受けた東アジアの人々が日本国家の責任を追及するという動きがはじまった。元日本軍「慰安婦」であった軍事的性暴力の被害女性が名乗りをあげ、それまで忘却・封印されてきた戦争・植民地責任が社会的な論争となった。知識人の間では「歴史認識論争」がおこり、続いて「歴史主体論争」へと発展していった。戦争責任は過去に幾度となく議論されてきたが、90年代での論争では、植民地支配の責任が1つの焦点になった。そうした展開の中、97年に日本の戦争責任資料センターにより「ナショナリズムと『慰安婦』問題」というシンポジウムが開かれたが、このシンポとそれに続く論争の中で、植民地支配の問題が国民主体の形成との関係で議論された。シンポには徐京植が参加し、「他者」に応答する責任が論争点となったが、徐が提起した戦後日本社会における「日本人」の特権の問題については議論が深まらなかったと思う。以下では、この問題に関した部分のシンポの議論を分析してみたい。シンポからすでに長い歳月が過ぎているが、そこで提起された問題は、今日の日本における中国や韓国との領土問題、それをめぐるナショナリズムの問題と結びついている。またアジア系の移民が増加する傾向にある日本社会では、「日本人の責任」だけでなく、「日本人」の意味が問われるようになっており、シンポの論争はそうした問いを考える上で示唆に富んでいると思われる。

収録刊行物

  • 人権問題研究

    人権問題研究 12-13 77-96, 2013-03

    大阪市立大学人権問題研究会

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