土佐日記の女性仮託という方法が意味するもの : その文学史的位置づけの再考に向けて

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  • トサ ニッキ ノ ジョセイ カタク トイウ ホウホウ ガ イミ スル モノ ソノ ブンガクシテキ イチズケ ノ サイコウ ニ ムケテ

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一、土佐日記冒頭の文の解釈 : 土佐日記冒頭の「をとこもすなる日記といふものををむなもしてみむとてするなり」という一文は、はやく北村季吟が「男の日記といふ物かく事あるをまねびて女もすると也。只今女のかけることばなれば、おとこもすといふと、もの字を書たるにや」(土佐日記抄)と述べて以来、日記とは通常男性が書くものであるが、それにならって女性である自分も書いてみる、という趣旨をあらわしているものとして説明されることが多い。しかし、この一文をそのように解釈する場合、「本来、日記というものは、それが公日記であるにせよ私日記であるにせよ、男子が通常は記録するものであるから、男主女従の対比関係を示すためには「男のすなる日記といふものを女も」とあるのが、正常な構文であるはずである。」という疑問が、どうしても生じるにもかかわらず、それに対する説明を真正面から試みたものはさほど多くない。……

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  • 文学史研究

    文学史研究 56 68-79, 2016-03

    大阪市立大学国語国文学研究室

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