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- Other Title
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- サンガキ
- ヤマガキ
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Abstract
以稚時不渉遊藝之庭。横翰之藻自乏乎彫蟲焉。幼年未逕山柿之門。裁歌之趣詞失乎聚林矣。 / 右の文中の「山柿」が何人を指すかに就いては論の紛糾して定説を定め難い所であるが、この点に就いていささか私見を述べてみたい。興味のあるのは、この論争が、いわば長い万葉批評史に関っている点である。「山」を赤人とする説は、遠く古今集序文に始まり、近世末に篠舎漫筆の張紙があらわれる迄は、なんら異を挟まれることなくうけつがれ来た考え方であった。これは平安時代に於ける三十六人集に、万葉歌人では人麿集と赤人集と家持集とがあること、勅撰和歌集に赤人の歌五十首に対して憶良は五首にしか過ぎないことなどに見られる如く、万葉を人麿、赤人、家持で代表する見方が長く続いたのに対し、近世末期の合理精神は新に憶良を重んずる見方を生み出し、万葉集を代表する歌人に憶良をも加える傾向を持って来た。……
Journal
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- 文学史研究
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文学史研究 8 11-18, 1957-12
文学史研究会
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Details 詳細情報について
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- CRID
- 1390853649849863680
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- NII Article ID
- 120006007319
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- NII Book ID
- AN00221255
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- ISSN
- 03899772
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- NDL BIB ID
- 5004697
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- Text Lang
- ja
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- Data Source
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- JaLC
- IRDB
- NDL
- CiNii Articles