藤井高尚の教訓本執筆

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  • フジイ コウショウ ノ キョウクンボン シッピツ

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抄録

備中吉備津神社の神職であった藤井高尚(明和元、1764年~天保11、1840年)は、鈴屋門の高足として本居宣長の学問を継承した近世後期を代表する国学者の1人である。『伊勢物語新釈』や『古今和歌集新釈』などの古典研究、および『消息文例』や『松の落葉』といった文章作法書や随筆の執筆などからもわかるように、高尚の国学はおおむね宣長学の歌文の領域を継承したものとされている。しかし、そのなかで『浅瀬のしるべ』は「世人の教えとなるべき諺四十八条を取り上げそれらに託しつつ、著者の日頃の所懐を得意の雅文で綴った」一種の教訓本の体裁をとり、高尚の著作としては異色の部類に属するものである。藤井高尚の国学に関して、筆者はこれまで3回にわたり、本研究集録に「化政期国学の一断面」と題する論考を掲載し、藤井高尚の国学の教化論的性格についての考察を行った。しかし、それらの論考は幾分論点が多岐にわたり、その結果焦点が拡散したうらみがあった。そこで本稿において改めて先の3論考の内容を集約するとともに、藤井高尚の国学の教化論的性格を化政期の教訓をめぐる状況の中に位置づけておきたい。

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