一九世紀末から二〇世紀初頭イズミルにおけるコレラ対策の変容と継続

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タイトル別名
  • Change and continuity in Izmir’s cholera prevention policy around the turn of the 19th century
  • 一九世紀末から二〇世紀初頭イズミルにおけるコレラ対策の変容と継続 : 近代オスマン帝国における衛生政策と地方社会
  • イチキュウセイキマツ カラ ニ〇セイキ ショトウ イズミル ニ オケル コレラ タイサク ノ ヘンヨウ ト ケイゾク : キンダイ オスマン テイコク ニ オケル エイセイ セイサク ト チホウ シャカイ
  • Modern Ottoman health policy and provincial cities.
  • 近代オスマン帝国における衛生政策と地方社会

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抄録

本稿は、19世紀末から20世紀初頭のイズミルで発生した2つのコレラを事例に、細菌学という新たな科学知の受容、病気という現象の理解、そして現実の疫病対策への影響という理論と実践の両面から、近代オスマン都市の疫病対策を検討する。そしてコレラ対策の中心となった行政医たちに着目し、こうした疾病理解や新聞や雑誌の急速な発達の中で、近代オスマン帝国の衛生政策に地方社会がいかに組み込まれていったかを考察する。<br> 1910年から11年のイズミルにおけるコレラ流行では、それに先立つイスタンブルでの細菌学研究所設立の影響もあり、上水道の断水や患者の隔離の徹底が対策の中心となるなど、1893年の流行の際とは異なる対策の新たな局面も見られた。しかし他方で、コレラの発症には人間側の条件、すなわち人間の身体にコレラ菌の生育に適切な環境が必要であるという理解の下、以前の流行の際に見られた行政・個人双方での諸対策も、「細菌の生育を防ぐ」対策として新たに位置づけられ、実行された。こうした事実から、時代の変遷によるコレラ理解と対策の変容のみならず、細菌学の到来により再編された疾病理解の枠組みの中に従来の対策が新たに意味づけられるという連続性も看取される。<br> イズミルのような地方都市で、こうした防疫実践を主導したのは、1867年にイスタンブルで開校した文民医学校出身の医師たちであった。帝国各地から集まった医学生は、卒業後、出身地の行政医に任ぜられ、帝国の衛生政策のエージェントの役割を果たした。彼らはコレラ対策の中心となるだけでなく、同時期に発達した新聞や雑誌などのメディアを通じて個人・家庭における日常的な健康維持を啓蒙した。このような活動を通じて、主体的に健康を維持する個人を作り出し、オスマン帝国の国家的な衛生政策に地方都市の個人を組み込む役割を果たしたのである。

収録刊行物

  • 史学雑誌

    史学雑誌 130 (3), 61-85, 2021

    公益財団法人 史学会

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