近世日本の社会観と〈障害〉認識 : 石門心学をめぐって

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タイトル別名
  • Research on the relationship between social views and perceptions of disability in early modern Japan: On the Study of Sekimonn Shinngaku(石門心学)

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抄録

「障害史」を構築し得る史料とその分析可能性を模索する仕事として、前近代とりわけ近世史料への新たなアプローチによる障害認識の析出を筆者は行ってきたが、本稿はその一環として、近世日本において庶民にも受容された「石門心学」を社会思想と捉える観点から、そこに障害認識が伏在するという見通しのもと、その析出を目的とする。ただし、このような観点からの石門心学へのアプローチは、現在までの研究史には見当たらず、試論の域を出ないが、障害史の研究にとり必要な方法論の提示と考えたい。これまで筆者が行ってきた作業を介してみえてくる課題は、「片輪」「不具」「愚昧」など、現代からみれば障害と考えられる表現・事象が、前近代の人びとにいかに捉えられていたのか、それが現代における障害概念とどのように関係するのか、ということである。障害の定義は、①心身機能の損傷にとどまらず、②社会的文化的に構築された観念も、重要な指標だろう。①については、心身の機能障害、また②については、ⅰシステム〈事物、制度など。ハード面〉、ii価値観〈慣行、観念など。ソフト面)という二つの面が内在していよう。①と②の指標と関連する障害の考え方は、現代の法や条約にもみてとれる。例えば、「障害者基本法」(1970年5月21日、最終改正2013年6月26日)では、障害を「心身の機能の障害」とし、それが「社会的障壁」により、日常・社会の生活全般にわたり、「制限を受ける」状態とする。そして社会の障壁とは、「社会における事物、制度、慣行、観念やその他一切のもの」とされる。前述した①心身機能の損傷が障害だが、それのみならず、②社会的文化的に構築された観念といえる制度・慣行などにより、「制限」を受けている状態そのものが、障害とみられている。前近代史料にみえる「片輪」「不具」「愚昧」などの表現・事象は、①の心身機能の損傷の状態といえるが、それが当該時代の②社会的文化的に構築された観念、すなわち制度や慣習や観念などのなかで、どのように捉えられていたのか、そして社会参加の障壁となっていたのか。このようなことは、前近代の障害認識を析出する上で、考えるべき問題だろう。とりわけ注目したいのは、①と②の関係性である。前近代における(有り体にいえば不十分な)医学水準のなか、両者は相互に強い規定関係にあったことが想定される。本稿では、身体観ないし心身観が、宗教性や道徳性と不可分な関係にあったこと、そのような見方が庶民レベルで浸透、定着し、心身の損傷(前記の①レベルの障害)が社会文化的な観念のなかで捉えられるようになった(②のレベルの障害)可能性があることを、「石門心学」(近世日本おいて庶民階層にも受容されたとみられる社会思想の一つ)を対象に考え、近世日本の障害認識の一端に迫った。

収録刊行物

  • 障害史研究

    障害史研究 3 1-16, 2022-03-25

    九州大学大学院比較社会文化研究院

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390854717648433408
  • NII書誌ID
    AA1183013X
  • DOI
    10.15017/4772322
  • HANDLE
    2324/4772322
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • IRDB
    • KAKEN
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用可

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