明治の国家教育をめぐる視覚メディア利用――「修身」幻燈の変遷を中心に

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タイトル別名
  • The Use of Visual Media for National Education in the Meiji Era: Focusing on the Changes in the Magic Lantern of “Moral Science”

抄録

<p>本論は、視覚メディア、特に幻燈が明治10年代の「修身」教育に果たした重要な役割を明らかにする。急速な近代化を進めた明治初期、日本の国家教育は、その方針をめぐって洋学・国学・儒学が熾烈な覇権争いを繰り広げていた。その際、教育の「啓蒙」ツールとして文部省が最も注目したのが、西洋から持ち込まれた最新の幻燈であったが、その内容の軸足は西洋啓蒙主義的な智識才芸を養うためのものから、儒教的な仁義忠孝を養うものへと移っていくことになる。文部省の命でいち早く幻燈製作をはじめた鶴淵幻燈舗が、はじめて日本の「修身」教育に関与したのが、明治天皇の勅命で元田永孚が編纂した『幼学綱要』スライドであるが、今回それら一式が新たに発見された。そのため筆者は、それらのスライドが製作されるに至る当時の国家教育観の思想的背景を検証する。</p><p>また当時の「修身」教育は、政府が推奨した洋学や儒教にとどまらず、江戸期から民衆に浸透している実語教や石門心学による「善悪鏡」など様々な道徳観の混淆であった。そしてそれらが、江戸期からの「写し絵」製作・興行主の池田都楽、大阪の花街で西洋幻燈製作や「錦影絵」を興行していた寺田清四郎製の幻燈スライドなどとなって、その「修身」イメージが拡散されていく経過を、実物史料に基づいて歴史的かつ実証的に明らかにする。</p>

収録刊行物

  • 映像学

    映像学 107 (0), 60-83, 2022-02-25

    日本映像学会

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390854717755851392
  • DOI
    10.18917/eizogaku.107.0_60
  • ISSN
    21896542
    02860279
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • KAKEN
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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