<研究論文>石濱シューレに集う人々 : 四半世紀後に

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タイトル別名
  • Researchers of the Ishihama School
  • 石濱シューレに集う人々 : 四半世紀後に
  • セキハマ シューレ ニ ツドウ ヒトビト : ヨン ハンセイキ ゴ ニ

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抄録

1995年7月、辻惟雄教授(当時)の主催する「奇人・かざり研究会」で「石濱シューレ・露人日本学者・言語学界三大奇人」と題して発表したが、論文にまとめる機会がこれまでなかった。そこで、小論はその発表に、最近の研究成果を盛り込んでまとめたものである。  石濱純太郎(1888~1968)は大変有名な東洋学者であるとともに、大阪東洋学会、静安学社、大阪言語学会などを主催し、こうした研究会を通して、石濱の周りには多くの研究者が集まった。小論では、これを「石濱シューレ」と呼び、そこに集った人々がどんな人で、何を研究してきたのかに焦点をあてる。  小論では、これまでの石濱研究で論じられることがなかった、次のような点を指摘している。1)石濱が大阪東洋学会の創設から4年後には別組織である静安学社へと新たな研究会を立ち上げた理由、2)大阪言語学会の活動内容、3)戦後の浪華芸文会やウラル・アルタイ学会の活動内容など、これら3点を中心に、亡父・長田夏樹の残したハガキや雑誌資料などを丁寧に掘り起こして、その実態に迫っている。偶然の産物なのか、言語学会三大奇人と呼ばれる人々は、いずれも石濱シューレに集った人であったが、石濱の周りに集う奇人たちについても触れている。また、奇人として名高い、ロシア人日本語研究者ポリワーノフにも触れている。  結論として、石濱が成し遂げた功績はこうした学会、研究会を通して、ネットワークを構築したことであり、そのネットワークはロシア人研究者や中国人研究者を巻き込んだ国際的なものであったことである。昭和の初期にこうした国際研究者ネットワークを構築したのは、製薬会社の資金で文献を集め続けて、それら文献を研究者に供給し続けた石濱でしか成し得なかったであろう。

収録刊行物

  • 日本研究

    日本研究 64 123-158, 2022-03-31

    国際日本文化研究センター

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