社会手当の創設と中央地方関係 : 児童扶養手当法・重度精神薄弱児扶養手当法の制定

書誌事項

タイトル別名
  • Establishment of social allowances and Central-Local relations : Establishment of Child-rearing allowance Act and Severely mentally weak child-rearing allowance Act
  • シャカイ テアテ ノ ソウセツ ト チュウオウ チホウ カンケイ : ジドウ フヨウ テアテホウ ・ ジュウド セイシン ハクジャクジ フヨウ テアテホウ ノ セイテイ

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抄録

地方財政制度における地方負担に関する理論を踏まえれば、現金給付の社会保障制度である各種の社会手当は、国がその実施に責任を負い、財源も全て国庫負担となると考えられる。しかしながら、現実には、児童手当や児童扶養手当など実施事務を地方公共団体が担い、財源においても地方負担が存在しているものがある。 この点、日本において社会手当が初めて創設された1960年代には、実施事務は地方公共団体に委託されていたものの、専ら国の利害に関係のある事務であると整理され、現状とは異なり財源は全額国庫負担となっていた。その後、1971(昭和46)年の児童手当法の成立により初めて社会手当に地方負担が導入されることとなるが、その前段階の社会手当の創設時に、何故全額国庫負担の制度とされたのかを明らかにすることには、現金給付の社会保障制度における国と地方の役割分担の在り方を原点に立ち戻って議論するという意義があると考えられる。 このため、本稿では、1960年代に創設された社会手当である児童扶養手当と重度精神薄弱児扶養手当について「何故、地方公共団体が実施事務を担う全額国庫負担の制度として創設されることとなったのか。」という問題意識に基づき、法制定時の政策決定過程について中央地方関係という視点から分析することとする。具体的には、厚生省サイドの公式の記録のみならず、大蔵省・自治省サイドの公式の記録や国会の会議録、政策担当者のオーラルヒストリーなど様々な種類の文献を調査することにより、客観的かつ多面的な政策決定過程を浮かび上がらせ、制度創設時の経緯を明らかにすることとする。 この結果、児童扶養手当と重度精神薄弱児扶養手当は、いずれも児童の「福祉の増進」を図ることを目的とする制度として創設されながらも、地方負担導入は検討された形跡がないことが分かった。当時、養護施設への入所措置費などの現物給付の児童福祉施策には当時から地方負担が導入されていたが、これらの手当は、国民年金法に基づき支給される福祉年金の補完制度であり、福祉年金と同様、全額国庫負担の現金給付施策であるとの認識が共有されていた。社会手当の創設当時に、現金給付の社会保障制度は国の事務として全額国庫負担の制度とすべきものであるとの認識があったことは、社会手当に地方負担導入されている現状を自明の前提とする必然性がないことを示唆している。

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