ナショナリズムを組織する
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- 加藤 剛
- 東洋大学アジア文化研究所
書誌事項
- タイトル別名
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- Organizing Nationalism
- What did the “Indonesians” Learn from Football?
- 植民地期インドネシアの「原住民」はサッカーから何を学んだのか
抄録
<p>1895年、蘭領東インド初のサッカー・クラブVictoriaが誕生した。東ジャワ北岸の都市スラバヤにあるオランダ語の高等学校HBSに在学し、英国でサッカー経験のある生徒が学友を誘って作った。次いで軍人中心のSpartaが生まれ、翌年、東インドで最初のマッチが持たれた。時を置かずに多くのクラブが生まれた。単一民族のクラブ、多民族のクラブと様々である。世紀転換期には幾つかの都市にサッカー協会が誕生、対抗戦が組まれた。代表的なのはジャワのスマラン、スラバヤ、バタビア、バンドンの協会である。1914年にはスマランで植民地博覧会が開催され、その中で前記4都市間の対抗戦が催されて評判となり、翌年からは4都市持ち回りで定期開催された。1919年には、サッカー協会の全国組織といえるNIVB「東インド・サッカー同盟」が結成された。何度かの離合集散を経て、1930年、この中から「原住民」クラブの組織PSSI「インドネシア・サッカー連盟」が生まれる。サッカーはどうしてかくも急速に東インドの都市を中心に広がったのか。「原住民」はサッカー・クラブ、協会、連盟など、血縁、地縁に基づかない集まりの組織化からなにを学んだのか。これらについて考えてみたい。</p>
収録刊行物
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- 日本体育・スポーツ・健康学会予稿集
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日本体育・スポーツ・健康学会予稿集 72 (0), 64-, 2022
一般社団法人 日本体育・スポーツ・健康学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390857457063326720
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- ISSN
- 24367257
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可