1-4 心臓シミュレータUT-Heartの概要およびパッチクランプ実験と組み合わせた心毒性評価システム

DOI
  • 岡田 純一
    東京大学大学院新領域創成科学研究科 株式会社UT-Heart研究所

抄録

<p> 医薬品開発の際には、胃腸薬から抗がん剤に至るまであらゆる薬物において、心臓に与える副作用、すなわち心毒性を評価することが不可欠である。特にTorsade de Pointes(TdP)は致死性不整脈に発展する可能性のある危険な不整脈であり、薬物のTdP発生リスクに与える影響を評価することがICH(International Conference on Harmonisation of Technical Requirements for Registration of Pharmaceuticals for Human Use、日米EU医薬品規制調和国際会議)-S7Bガイドラインにより義務付けられている。TdPは一般に心筋細胞の細胞膜にあるイオンチャネルの一つであるIKr(hERG)チャネルを通過する電流が阻害されることによって細胞に発生する早期後脱分極(early afterdepolarization: EAD)が原因と考えられている。IKr チャネル阻害は活動電位持続時間(action potential duration: APD)の延長をもたらすため、ICHガイドラインではIKr チャネル抑制試験・動物実験と併せて、健康なボランティアに対して被験薬を投与し、心電図上でAPD に対応する指標であるQT間隔延長の有無を正確に測定する「thorough QT/QTc試験」を心毒性評価法として採用している。しかし、thorough QT/QTc 試験は非常に高コストであり、またQT間隔を延長する薬物の中にもTdP発生リスクを上昇させない薬物が存在することから、false positiveが多いことが問題点として指摘されている。すなわち、本来は大きな効果が期待される新薬の開発が誤った判定により中断されるということであり、これは巨額の費用を要する新薬開発の成功率を低下させ製薬企業の経営を圧迫するだけでなく、画期的な新薬が医療現場に提供されない社会的損失という点でも問題である。そのため、より高精度で安価な心毒性評価法の開発が切望されている。これらの背景を踏まえて、日米欧の規制当局は次のガイドライン改訂に向けて、薬物による複数のチャネルの抑制効果を測定し、in silicoモデルを用いて統合することにより不整脈発生リスクを評価する基本方針を示している1)図1に我々の考えるin silico心毒性評価法の概要を示す。まず細胞実験のデータに基づき正常な心筋細胞のイオンチャネルのモデル化を行うことが必要である。すでにいくつものヒト心筋細胞モデルが提案されている2-5)。正常細胞に対する薬物の影響はパッチクランプ法等により実験的に求める。実験結果に基づき正常状態を模擬した心筋細胞モデルに対して薬物の影響に対応するモデル改変やパラメータ変更を行うことにより仮想的な投薬を再現し、その反応を観測することにより薬物の毒性予測を行う。薬物がチャネルに与える影響は多種多様であり、予測の結果はin vivoin vitroのデータと比較検証を行いモデルの精度を高めていく作業も持続的に行っていく必要がある。このようにin silicoモデルは細胞実験(in vitro)と臨床試験(in vivo)を合理的に結びつける架橋の役割を果たしていることが分かる。In silicoモデルの利用には様々な利点がある。まず実験や臨床試験と異なり、ノイズ、実験環境、実験機器、実験手技、個体差の影響を基本的には含まず、誰が計算を行っても同じ結果を得ることができる。また、結果の分析が容易であり、薬物と作用の関係を合理的に解釈することが可能である。また動物実験のように動物の生命を犠牲にすることもない。さらにヒトのin silicoモデルを用いれば、臨床試験のようにヒトの健康に悪影響が出ないような低濃度での応答のみから薬物の評価を行う必要もなく、基準濃度の数百倍の濃度における影響を予測することも可能である。</p><p> 心毒性評価へのシミュレーションの導入は欧米で特にヨーロッパ連合(EU)では、EU-Heartと呼ばれるコンソーシアムにオックスフォード大学6)を中心とした有力大学、製薬企業が加わり、EUの予算も投下されて薬物性不整脈のin silico予測のための研究が行われたが、未だに成功していない(preDiCT プロジェクト7))。またこれらの研究のほとんどは単一細胞モデルのAPD延長を指標としたものに留まっていた。</p><p> 我々は有限要素法に基づく心臓興奮伝播解析と細胞実験を組み合わせた薬物のスクリーニングシステムを世界に先駆けて開発した8)。本報告では、このシステムについて基礎的段階から分かり易く解説することを目的とする。薬物が心筋細胞に与える影響をパッチクランプ法により6種のイオン電流(IKr、INa、ICa、IKs、IK1、Ito)に関して実験的に測定し、阻害の程度をDose-inhibition curveにより近似する。 Dose-inhibition curveに従って心臓シミュレータの各節点に配置した2,200万個を超える細胞モデルにおいて各イオン電流を抑制することにより、仮想的な「投薬」を行なうことが可能になる(図2)。薬物の濃度を段階的に増加させ、QT間隔の変化のみならず不整脈が発生するか否かにより各薬物の不整脈発生リスクを評価した。三次元心臓シミュレータを用いてTdPの発生を再現し、薬物の評価を行なったのは世界初の成果である。不整脈は、心臓の複雑な組織構造の中において細胞間の相互作用によって生じる心臓全体の異常な活動である。我々の開発した三次元心臓シミュレータでは、単一細胞モデルでは 評価することのできない細胞の走行分布や心臓内での細胞の電気的性質の場所による差異の影響を考慮することが可能であり、本研究でも心毒性評価における細胞の電気的性質の場所による差異の重要性を強調している。</p>

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390857512439832448
  • DOI
    10.50971/tanigaku.2016.18_17
  • ISSN
    24365114
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用可

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