近代の行幸啓における「万歳」唱和の実際
書誌事項
- タイトル別名
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- Shout of Banzai at the Imperial Visits from the Late Meiji to Early Showa Eras
- 明治後期から昭和前期まで
抄録
近代の行幸啓において、鹵簿通御や通輦に対する「万歳」唱和は原則禁止であった。「馬匹狂奔」を恐れる警備上の理由からである。しかし、一九〇七年、西園寺内閣下で行われた嘉仁皇太子の山陰行啓は、例外的に「万歳」が容認された。この行啓をきっかけにして、夜の宿泊先への提灯行列催行時に、「万歳」が唱和されることが始まり、裕仁皇太子・天皇の行幸啓に継承されて盛行を見るようになる。そして、夜の提灯行列に伴う「万歳」唱和は、天皇・皇太子の積極的な応答を生み出すテコの役割を果たした。特に裕仁皇太子・昭和天皇の応答には、萌芽的な「大衆社会」状況に対する対応の意味が込められていた。天皇・皇太子が一瞬で過ぎ去る鹵簿通御・通輦の場より、対面の奉迎行事や夜の提灯行列の場で行う方が、「万歳」唱和は所を得たとも言える。
収録刊行物
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- 洛北史学
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洛北史学 23 (0), 43-72, 2021-06-05
洛北史学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390857910473066880
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- ISSN
- 2436519X
- 13455281
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可