地域振興に息づく音楽文化―再考《ちゃっきりぶし》の歴史―

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タイトル別名
  • Musical Culture Alive in Regional Development: Reconsidering the History of “Chakkiribushi”
  • チイキ シンコウ ニ イキズク オンガク ブンカ : サイコウ 《 チャッキリブシ 》 ノ レキシ

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抄録

〔抄録〕  西洋音楽が本格的に導入された1860年代から現在に至る日本の音楽文化は、社会状況と連動しながら様々な形で私たちの日常に息づいてきた。そのひとつの形態が、1920年代後半から1930年代に展開した「新民謡」や、いわゆる「ご当地ソング」などに見られる地域・観光振興としての音楽だろう。特に「新民謡」は、都市化・大衆社会化という社会状況が反映された地域振興の音楽の表象と捉えられる。本稿ではこの「新民謡」の中でも、1927年の発表から現在まで静岡のシンボルとして歌い継がれている《ちゃっきりぶし》に焦点を当て、発表の背景、普及の過程と現在に至る変遷を、近現代史の流れに即して整理した。  第1 章では、1860年代から1920年代に至る音楽文化の変遷と、「新民謡」誕生の背景と定義について、先行研究に依拠しながら整理した。続く、第2 章では、社会インフラを担う鉄道会社が、自社の沿線開発戦略で開園した遊園地の宣伝と地域産業振興を目的に委嘱した「新民謡」である《ちゃっきりぶし》の発表までの経緯と、その後の変遷を概観し、楽曲がお座敷唄=「座興唄」としての特性を持ったがゆえに、芸妓連のレパートリーとしてごく限られた世界で愛好され、戦時期には高級享楽停止など花柳界を巡る統制の影響を受けた歴史を再考した。そして第3 章では、戦後になって《ちゃっきりぶし》が、1957年の静岡国体でのマスゲーム演舞を機に、スポーツイベントや国際交流のツールとして蘇り、さらに1990年代以降は「静岡まつり」の演舞にも取り上げられ、静岡を代表する地域・観光振興としての音楽・舞踊として生き続けていることを検証した。  ここには、1920年代に「新民謡」として誕生した楽曲が、社会状況を反映しながら、発表当初の目的に止まらず、地域のシンボルとして、地域・観光振興、国際交流のツールとして姿を変えながら活用されてきた事実が、浮き彫りになっている。《ちゃっきりぶし》の歴史には、音楽文化の歩みと地域・観光振興の様々な取組みや願いが込められているのである。

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