1960年代の大阪港周辺における水上生活者の生活圏

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  • Living Area of Water Dwellers Around Osaka Port in the 1960s

抄録

<p>1.研究の背景と目的</p><p> 荒山・大城(1998)などによる人文主義地理学の「場所」を巡る事例において、水上と陸上とをまたがって生活する水上生活者に着目する研究は見られない。大阪港(大阪市港区など)で働く人々の民俗誌を明らかにした坂口(2013)は、水上生活者が生活していた海上や河川上のエリアを「地図にない街」、「水上都市」と表現している。</p><p> 本研究では、港湾運送業が盛んであった高度経済成長期の中心である1960年代を対象に、大阪港周辺における水上生活者の生活圏を明らかにする。水上生活者の生活実態や民俗誌に関する先行研究と、大阪港周辺の住民(水上生活の経験者、水上生活者と交流したことがある者、水上生活者を見たことがある者)への聞き取り調査を基に、大阪港周辺に居住していた水上生活者の属性を明らかにし、水上生活者の生活圏をあぶり出す。</p><p></p><p>2.水上生活者の定義と大阪港の水上生活者</p><p> 本研究で取り上げる水上生活者とは、陸上に住宅などの居住地を持たず、海や河川に浮かぶ船やはしけで居住する人々を指す。水上生活者は、漁民やはしけ労働者が多い。</p><p> 大阪港は1868(明治元)年に開港した。大阪港周辺には、貨物船や旅客船の船員、元請の倉庫業に従事する者、荷役を担う港湾労働者、はしけを管理するはしけ労働者、潜水工事を担う人々、土木業や漁業に関わる人々、商店に勤める人々などが集住した。これらのうち水上で生活していたのは、はしけ労働者の世帯である。大阪港では1886(明治19)年頃にはしけが使われ始めた。船が入港する地点に応じてはしけを移動させる必要があるため、はしけ労働者の一部は水上で生活するようになった。</p><p></p><p>3.はしけ労働者の属性と港湾労働者との相違点</p><p> はしけ労働者と港湾労働者は、いずれもはしけで業務を行うが、両者の属性は異なっていた。はしけ労働者は、はしけを管理することが業務であり、家族とともにはしけに居住する者が多かった。一方で港湾労働者は、日雇いや単身者が多く、水上での業務を終えると陸へ戻り、宿泊所や商店、バー、銭湯などを利用することを日課としていた。</p><p></p><p>4.1960年代の大阪港周辺における水上生活者の生活圏</p><p> 1960年代に大阪港周辺で水上生活をしていたはしけ労働者世帯の生活圏について、仕事、飲食・購買、余暇・娯楽、教育の観点で調査した。はしけ労働者が仕事を行う場所ははしけであり、船舶が入港する地点に応じてはしけを移動させていた。そのため、はしけ労働者は陸上に足を運べる機会が休日に限定されており、主に行商船で日用品を購入していた。はしけ労働者が余暇や娯楽を楽しんだ主な場所もはしけであった。はしけが家族の団らんや近所付き合いの場所として機能していた。なお、はしけ労働者世帯の小中学生は、陸上に設けられた水上生活者向けの福祉施設へ通い、陸上と水上とを頻繁に行き来していた。</p><p></p><p>5.まとめと今後の研究課題</p><p> 大阪港のはしけ労働者は居住地を水上としていただけではなく、仕事、購買、余暇においても水上が中心であった。水上生活者の生活圏は、陸上に居住する港湾労働者のそれとは異なっており、水上に浮かぶはしけに愛着を抱いていたということが予想される。今後の研究では、水上生活者の多くが陸上へ移住した1970年代も視野に入れる。水上居住から陸上居住に転換した過程も含めて、水上生活者にとっての「場所」がいかなるものか明らかにする。</p>

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390858619526001408
  • DOI
    10.14866/ajg.2023s.0_18
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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