日本における情報通信政策の転機に関する一考察 : 1957年のテレビ大量予備免許を中心に

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  • A Study on the Turning Point of Telecommunicaiton Policy in Japan
  • ニホン ニ オケル ジョウホウ ツウシン セイサク ノ テンキ ニ カンスル イチ コウサツ : 1957ネン ノ テレビ タイリョウ ヨビ メンキョ オ チュウシン ニ

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抄録

研究ノート

1950年6月に電波三法(放送法、電波法、電波監理委員会設置法)が成立した。この時発足した電波監理委員会は日本初のテレビ放送の予備免許を日本テレビ放送網に与える重要な決定を行った。その際、当時の吉田茂首相から同委員会に対し、日本テレビ放送網に予備免許を与えるよう強い圧力があったとされる。その後、全国で放送免許の申請が増加したが、郵政省は複数の申請をまとめる「一本化調整」と呼ばれる行政指導を実施した。1957年に郵政大臣に就任した田中角栄は、一本化調整を積極的に行うことによりテレビ大量予備免許を主導した。その結果、テレビ放送が全国に拡大し、日本の放送の骨格が形成された。

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