明治33年に毛利元敏が振舞った洋食献立の再現

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  • Reproduction of Western food served by Mouri Mototoshi in 1900

抄録

<p>【目的】明治に入り,洋食が提供されるようになってきた。しかし,その普及の過程は不明な点が多い。毛利元敏は長府藩(下関)最後の藩主で最初の豊浦藩知事である。廃藩置県により免官され長府から東京に移住した。イギリス留学などを経験し,長府にもどる。下関は海外の玄関口であり,輸入食品も流通していた。「旧長府藩士を自邸に招いて振舞った洋食の献立」を再現することにより,当時の洋食技術を推測することを目的とした。</p><p>【方法】下関市立歴史博物館所蔵「自製洋食品目 三澤家文書」を再現する献立とした。 使用した食品を推測するため同館所蔵「外国食品費受払簿」の提供前購入品を参考にした。当時の調理技術の参考にするため文献調査を実施した。文献は国立国会図書館デジタルコレクションオンラインで,出版年月日を1868年(明治元年)から1910年,料理をキーワードとして検索し,「西洋料理指南上・下」「西洋料理通」他を参考にした。また,山口家政女学校発行「割烹の栞」(1923年)を地域の料理書として参考にした。レシピの検討,調理は食育ボランティア団体唐戸魚食塾の協力により実施した。下関市歴史博物館所蔵の文書は崩し字が多く,同館学芸員の協力を得た。</p><p>【結果】再現した料理は技術的に現在のものに近い。いくつか疑問点があるが,現代の料理名にすると次のとおりである。「人参入りとり肝スープ」「海老フライ,クレソン,カット橙」「鶏のカツレツ,松茸入ソース」「蒸しカリフラワー,鶏卵ソース」「牛肉のピカタ風」「蒸しジャガイモ,キャベツの牛乳煮」「印度カレーライス」「蒸し鶏付きサラダ」「菓子,干柿製プリン(柿と牛乳のプリン),カステラ(竹を使用した),パイナップル(缶詰)」</p>

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390860377325801088
  • DOI
    10.11402/ajscs.34.0_101
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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