ハッブル定数問題と今後の展望
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- 大栗 真宗
- 千葉大学先進科学センター
書誌事項
- タイトル別名
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- Hubble Tension and Its Future Prospects
説明
<p>膨張宇宙モデルに基づく標準宇宙論は,軽元素の存在比,宇宙背景放射の複雑な温度ゆらぎパターン,銀河の大域的な分布など,様々な観測的事実を定量的かつ統一的に説明することに成功している.しかし,観測が精密化するにつれて,標準宇宙論の綻びがいくつか見え始めている.そのような綻びの代表例が,以下で説明する「ハッブル定数問題」である.</p><p>ハッブル定数は,宇宙のあらゆる時間スケールや距離スケールを決める最も重要な宇宙論パラメータであり,その測定は1920年代の宇宙膨張の発見以降長い歴史がある.近年のハッブル定数の測定は,近傍宇宙の銀河までの距離を様々な距離指標を組み合わせて直接測定する「距離はしご」と呼ばれる方法と,宇宙初期に宇宙が熱平衡であった時の名残りの放射,宇宙背景放射の温度ゆらぎパターンから間接的に測定する方法によって牽引されてきた.これら二通りの測定結果が有意に異なるのがハッブル定数問題である.現在では測定値の違いは5σ(σは標準偏差)を超えており単なる統計的ゆらぎでは説明が難しくなっている.</p><p>ハッブル定数問題解決の可能性として,まずはどちらかないし両方の測定において系統誤差を過小評価している可能性が考えられる.特に距離はしごを用いたハッブル定数測定は,様々な経験則を組み合わせて測定が行われるため,系統誤差の正確な見積もりが容易ではない.もちろん,これまでの距離はしごの解析においては異なる距離指標を慎重に比較することでその妥当性が検証されており,結果は年々堅固になっているが,問題の重要性からさらに多角的な検証が望まれる.同様に宇宙背景放射を用いた測定も,異なる実験の結果の相互比較による系統誤差の評価が進められている.</p><p>宇宙背景放射を用いた測定は,標準宇宙論を仮定して導出される間接的な測定であることから,もし両者の測定が正しい場合には標準宇宙論の修正を検討する必要がある.一例として,宇宙初期に宇宙の膨張速度を速める初期ダークエネルギーを考えることで宇宙背景放射から推定されるハッブル定数の値が下がり,距離はしごの測定結果と宇宙背景放射の測定結果をよりよく一致させるといったモデルが検討されている.このようなハッブル定数問題を解決する可能性のある理論モデルは数多く提唱されており,現在も理論面および観測面で非常に活発に研究が行われている.</p><p>標準宇宙論の修正が本当に必要となれば宇宙論のパラダイムシフトの必要性を意味し,きわめて重大な観測結果である.一方で,系統誤差の過小評価の可能性を排除するためには,距離はしごとも宇宙背景放射とも異なる新しい手法を用いたハッブル定数測定による検証も必要だろう.</p><p>そのような距離はしごや宇宙背景放射と独立な第三の測定法として注目されているのが,重力レンズ複数像間の時間の遅れを用いた測定,および連星合体の重力波観測を用いた測定であり,これらの観測によるハッブル定数測定の精度も向上しつつある.今後ハッブル定数問題を解決するためには,こうした独立な測定を用いた測定値の相互比較,検証がさらに重要になっていくと考えられる.</p>
収録刊行物
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- 日本物理学会誌
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日本物理学会誌 78 (11), 630-638, 2023-11-05
一般社団法人 日本物理学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390860996982702592
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- ISSN
- 24238872
- 00290181
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可