是枝裕和・傷ついた家族たち

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抄録

是枝裕和の監督作品《そして⽗になる》が映像化した「家族」のイメージを、ポスト⾼度経済成⻑期の家族イメージのひとつとして位置づけたうえで、他の作品とも共通してもたれている撮影⼿法に着⽬することによって、このイメージに含まれている⽣の感覚、統⼀的なストーリーに回収されない⽣の肌触りを賦活させようと試みた。このことが筆者にとっての歴史理解を巡る哲学的問題構成、すなわち意味化されない事実性の問題とつながることを、本論は冒頭で確認している。

収録刊行物

  • 社藝堂

    社藝堂 10 (0), 45-60, 2023

    社会芸術学会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390861029268499072
  • DOI
    10.57360/shageido.10.0_45
  • ISSN
    2758156X
    21885516
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用可

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