近代日本の儒教と戦争

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タイトル別名
  • Japanese Confucianism and War
  • キンダイ ニホン ノ ジュキョウ ト センソウ

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抄録

1930年代、国家神道を主要なイデオロギーとした日本は、超国家主義に陥って戦争へと突き進んだという見方は広く信じられている。しかし、その時期に儒教が戦争を正当化したことは、今日あまり知られていない。1918年に日本の儒学者と支那学者によって結成され、1930年代にその影響力と政治指導者からの庇護が頂点に達した教育・研究団体「斯文会」についての研究は多くないが、筆者はその欠を補いたい。本稿では、初期の斯文会が伝統的な儒教道徳の復活と漢学の振興を目指して活動したこと、また山東省曲阜の孔家の地位を利用して「儒教外交」を展開したこと、さらに儒教的なアジア主義を打ち出し、儒教を醇化した日本が東アジア精神文化の指導者・保護者としての役割を果たそうとしたことを考察する。最後に、従来研究が手薄な斯文会会員が戦時中に発表した文章の分析をとおして、1937年から1945年にかけて日本が中国で行った戦争を道徳的に正当化するにあたって、近代日本の「皇道」儒教の果たした役割を論じる。また戦時中の斯文会刊行物におけるオクシデンタリズムおよび自己オリエンタリズムを分析することによって、今日の東アジアの不安定な地政学的状況の中で、儒教の規範理論におけるオクシデンタリズムおよび自己オリエンタリズム的傾向についてより批判的な考察を行う必要性について論じたい。 / 真に知的な力が、その尊厳と真実を戦争の神々の前で生け贄として捧げなければならないことは、悲しいことです。―ラビンドラナート・タゴール、1938年9月、野口米次郎宛書簡より

収録刊行物

  • 言語文化論究

    言語文化論究 51 1-18, 2023-11-10

    九州大学大学院言語文化研究院

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