<研究ノート>後鳥羽院の『遠島百首』における「ふるさと」と李煜の宋軟禁時の作品における「国」の比較考察

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  • <Research Notes>Comparison of the Portrayals of Furusato in Gotobain’s Entoo Hyakushu and Guo in Li Yu’s Works during His House Arrest in the Song Dynasty

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抄録

後鳥羽院(1180-1239)と李燈(937-978)は、君主としての経歴や趣味は類似している。後鳥羽院は和歌の再興や『新古今和歌集』の編纂など、日本の文学に貢献した。一方、李燈は南唐の最後の皇帝として詞(ツー)の創作に取り組み、中国文学に大きな影響を与えた。両者は共に政治的に大きな脅威に直面し、悲劇的な運命を辿っている。両者の生涯には共通点があり、特に配流や軟禁後の作品にその苦悩や悲しみが反映されている。本稿では、後鳥羽院の配流された時の歌『遠島百首』と李燈の宋軟禁時の作品を比較し、後鳥羽院の「ふるさと」と、李燈の「国」といった描写に焦点を当てて考察する。また、後醍醐天皇と宋の徽宗、失敗した君主たちの作品を比較することで、彼らの特徴をより深く理解することを目指す。

収録刊行物

  • 国際日本研究

    国際日本研究 16 149-166, 2024-03-15

    筑波大学人文社会科学研究科国際日本研究専攻

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