大店法下におけるモータリゼーションと郊外モールの実験的開発

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  • Motorization under the “Large-Store Law Regime” and the Development of Experimental Suburban Malls

抄録

<p>北アメリカで二十世紀中葉にその原型が誕生した巨大駐車場を備えた郊外ショッピングモールは, 今や先進国を中心に世界的に広くみられるようになり, わが国においては大都市のみならず中小地方都市においてもここ数十年の間に大きく発展を遂げた. こうした郊外モールは, 自動車を所有する中流層消費者に大きな利便性を提供してきた半面、ナショナルチェーンを中心としたテナント構成, 郊外モールの公共空間の私有空間化,自動車所有の有無によるアクセシビリティの格差等その内含する問題点が指摘されることも少なくない. なかでも, 郊外モールの直接的な競合相手である地方中心商店街への悪影響と, それに伴う中心市街地の空洞化は地方の衰退と同様の文脈で語られることが少なくない.</p><p> 地方における郊外商業空間の急速な発展について, 地理学の分野においては、駒木(2010), 箸本(1998, 2014),安倉(1999), 山川(2003), をはじめとする研究が, 1990年代前半の大規模小売店法関連の規制の段階的な緩和や大店立地法の制度上の欠陥が, 一部の総合スーパーチェーンのスクラップ・アンド・ビルドを結果的に促進し, 郊外におけるショッピングモールの乱立に繋がったことを明らかにしてきた. しかしながら、それ以前の1970年代中盤から1980年代にかけて, いかにジャスコやイズミをはじめとする今日の主要郊外モールディベロッパーが, 郊外モールフォーマットの確立に向けて半ば実験的に店舗を展開してきたかについての研究はいまだ緒に就いたばかりである. 本論は、厳格な「大店法法制」と自家用車所有の急速な伸張に呼応して発展した地方郊外モールの開発事業者との間のせめぎあいに着目し, 郊外モールの国内における「前史」の一端を詳らかにしてゆく.</p><p> 使用データ</p><p> まず『自動車保有車両数市区町村別』と『市区町村別軽自動車車両数』から算出した1980年, 1990年それぞれの時点における市区町村別個人自家用車所有率の主題図上に、『地域経済総覧』掲載の郊外モールをプロットした.なお, 本論においては「郊外モール」を売場面積10,000m2以上かつ駐車場台数1,000台以上を有する郊外大型小売施設と定義した. 続いて、ジャスコ(イオン), ダイヤモンド・シティ, イズミをはじめとする主要郊外モール開発事業者の社史ならびに各種ビジネス誌掲載の各店舗関連記事を参照し, 各開発主体の出店戦略について分析した。</p><p> 結果 1980年時点において, 本論の定義に沿う「郊外モール」が全国で約40店舗確認できた.これらの郊外モールは自家用車所有率が卓越していた北関東および東海地に偏在していた. 愛知県稲沢市においては, 税収増を目指した市と当時市周縁で急増していたマイカー所有の家族層に着目した総合スーパー側とが, 大店法施行前の「駆け込み出店」をした状況が見て取れた.また, ジャスコと三菱商事の合弁企業であるダイヤモンド・シティの社史によると, 同社の代表取締役岡田克也が「大規模小売店舗法の施行で立地創造が制限され, 日本の本格的なショッピングセンター開発は停滞せざるを得ない状況」が続いたと振り返りながらも, その課された制約のもとで西日本を中心に米国のショッピングモールの要素を反映した中規模の実験的郊外店舗を開設していたことがわかった. 1980年代を通して工業地域を中心として自家用車所有率が上昇を続ける中で, 1990年時点において「郊外モール」は全国で70店舗を数えるまでに伸長した. 1980年時点と同様に,1990年時点においても東海, 北関東, 北陸, 北海道を中心とした自家用車所有率の高い地域に店舗が集中するパターンが確認できた. 最後に, ジャスコのリージョナルモールの雛形といえる店舗が1993年に開業した秋田県秋田市においては, ジャスコが新規開通する高速道路へのアクセスを見据えて, 同社がそれまでのモール開発のノウハウを活かした「立地創造」を行ったことがわかった.</p><p> 結語</p><p> 本稿は、既存の大型小売店に関する地理的研究に立脚し, 1990年代以降の郊外型ショッピングモールの全国展開の前史にあたる1970年代後半および1980年代の大店法下における郊外モール開発主体の店舗展開を自家用車所有の進展という文脈に沿って分析した. まず, 自家用車所有率が卓越していた北関東ならびに東海地方において郊外モール開発が進捗したことが明らかとなった. また, ダイヤモンド・シティを始めとする総合スーパーが大店法という大きな制約の下で半実験的店舗を1980年代を通して開発し, こうして事前に蓄積したノウハウが1990年代以降の大店法緩和に際して急速な全国展開を果たす上での基盤になったものと考えられる.</p>

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390862809659724928
  • DOI
    10.14866/ajg.2024s.0_281
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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