古写真でたどる川喜田二郎とヒマラヤ保全協会の50年史

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  • The 50-year History of Legacies by Prof. Jiro KAWAKITA and the Institute of Himalayan Conservation by Old Photographs

抄録

<p>Ⅰ. はじめに: 川喜田二郎と国際技術協力</p><p> 本発表では、故・川喜多二郎(東京工業大学・名誉教授)とその国際協力実践部門として設立された「ヒマラヤ保全協会」(Institute for Himalayan Conservation: IHC)の活動史を、古写真と映像資料をもとに紐解いてみる。同団体は川喜田氏が1974年7月に設立した「ヒマラヤ技術協力会」(ATCHA)を出発点として、ネパールを中心に国土緑化と国際技術協力を半世紀に渡り続けている。本年2024年度は、同会の活動開始から50年の節目となる。正論でときに奇抜でもあった「川喜田式アクション=リサーチ」の、多様な事業の集大成を近年の活動と合わせてその軌跡をたどってみる。</p><p></p><p>Ⅱ. 第1フェイズ[生活インフラ建設: 1974年~1980年代]</p><p> 川喜田のヒマラヤでの活動は、1974年の《簡易水道とワイヤー軽架線の設置(P&P)》から始まった。1958年の「西北ネパール学術探検隊」の際に、シーカ村での経験から、生活インフラの整備の必要性を痛感したことが、終生続いたコミュニティ開発への原動力となった。その後、同村で1963年6月~1964年3月までの9ヵ月間滞在し、P&P設置へと至る生活インフラの整備の着想を抱く。同プロジェクトは、1974年1月の予備調査を経て、1975年2~5月にかけてパウダル村にロープライン1号線が開通し、その後1988年までにシーカ谷全域で18本が架線された。その後、水力を利用した渡し船と遡行船の設置、水力小型発電機と小型揚水ポンプの設置《河川プロジェクト》を、ネパール王立科学技術アカデミー(RONAST)と共同開発した。実際の設置は、1987年12月にトリシュリ河沿いGhatbesiに第1号機、1995年に第2号機がGaighatに設置された。現地ニーズの汲み取りや設置場所の選定には、マガール族集落や、マジ族、ボテ族などの在来河川利用のエスノグラフィ調査の結果が積極的に組み込まれた。</p><p></p><p>Ⅲ. 第2フェイズ[総合環境保全: 1990年代~2000年]</p><p> 組織体としてのIHCは1993年に正式に成立する。これに先立ち、1990年頃には、苗畑運営によって苗木・稚幼木を生産~配布~植林する現在の植林体制を確立した。やがて90年代半ばを迎えると、会員数1000人以上、年間収支も8千万円を超える潤沢な資金をもとに、活動規模を拡大させてゆく。この時期を代表する事業として、エコツーリズムに相当するボランティア参加型遠隔農山村ボランティア、第1回《山岳エコロジースクール(MES)》を1992年3月に開催する。さらに、国際ロータリークラブとの共同でジョムソム村に1994年2月13日、「地域開発センター」《ムスタン・エコミュージアム》を開設する。その他シンポジウム開催など、新規性の高い事業で一般参加者への門戸を積極的に開き、環境教育にも力強くコミットする現在のIHCの活動が確立される。</p><p></p><p>Ⅳ. 第3フェイズ[コミュニティ開発特化: 2000年代~]</p><p> IHCは2000年に特定非営利法人化し、活動内容もよりSite-specificなコミュニティ開発へと深化する。なかでも成功を収めた新規事業として《パウダル村チーズ工房建設》[2001年~]が開始され、2年間の職人育成期間を経て2002年5月にチーズ生産が開始された。チーズ工房を運営する委員会には5万ルピーの積立金を贈与し、マイクロファイナンスのシステムも導入した。植林事業はミャグディ郡、パルパット郡全域に広がり、《JICA草の根プログラム(JPP)》[2011~2015年]の採択をへて、2014年には合計植林本数100万本を達成した。近年は《果樹栽培のアグロフォレストリー事業》[2016年~]に注力し、換金作物栽培と地域特産品つくりに取り組んでいる。</p><p></p><p>Ⅴ. まとめと展望: これからのアカデミアと国際技術協力</p><p> 川喜田二郎の国際協力とは、①生活インフラの改善、②住民参画による社会共創、③エコロジーの総合保全・再生、④現地文化・・生活誌の理解、⑤「世界を悩む」の普及と人材育成、の5つのカテゴリーに集約できる。「川喜田式アクションン=リサーチ」とは、民族学とコミュニティ開発を、表裏ではなく、相互検証が可能な行為として並置したことに最大の特徴がある。それは緊急支援や人道支援からはじまった活動ではなく、純粋に学術的探求心から産み落とされた。実利実益を偏重する乱暴なこの時代に、ヒマラヤ保全協会の生い立ちを再確認する価値がそこにあると思われる。</p>

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390862809659771136
  • DOI
    10.14866/ajg.2024s.0_94
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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