三島由紀夫のみた「悲劇的なもの」 ―精神分析的・宗教哲学的一考察―

書誌事項

タイトル別名
  • “The Tragic” as Seen by Yukio Mishima: Study from the Perspectives of Psychoanalysis and Religious Philosophy

抄録

三島由紀夫の自決は,彼のいう「悲劇的なもの」に魅入られた,何か無意識に呪縛された行為の ように思われる.本稿ではラカンの考え方,その悲劇論などを参照しつつ,三島の自決の意味につ いて考察した.三島にとって言語の到来は,肉体と切り離された,言語活動の主体としての自己を 鮮明に意識化させるものであった.三島が出会った身体は,既に言語化された身体であり,彼は自 己存在の本来性の喪失を強烈に意識することになった.三島を生涯苛んだ空虚感・虚無感は,この 点から捉えることができる.三島は仏教,特に唯識思想に自己救済の道を模索したが,それは果た しえなかった.戦後の日本社会に三島は自らの空虚感の投影を見出し,天皇の復権に自己救済の道 を求めた.彼にとって天皇は,母の法を担う存在であると同時に父の法を担う存在であり,彼は自 決という仕方で,母による去勢(母子一体性への還帰)と父による去勢(言語活動への統合)を同 時に受け入れることで,自己存在の本来性を取り戻そうとした,と考えた.

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