夏目漱石 初期の漢詩 : 叙景表現を中心として : 第二章 第五節 花の「色」

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タイトル別名
  • The Early Works of Natsume Soseki’s Chinese Poetry : Focusing on the Scenic Descriptive Expression : Chapter II, Section 5 “The color” of flowers

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説明

拙論は漱石の漢詩について、叙景表現を中心として論考を重ねてきた。第二章は『文学論』でも重要視する色彩を論じ、第五節では小説においても存在感を放つ「花」の色彩を究明する。 「花」は漱石詩中、58例あるが、前号では名称無き「花」を対象に考察して、「花」自体が重要な意味を有しており、漱石詩の独自性に裨益していることを証した。 今号では黄色に着目し、熊本時代の68詩「菜花黄」を考察する。一見、うららかな春景色を詠うが、二つの疑問が浮かぶ。1,なぜ「菜花」ではなく「菜花黄」か。2,第2聯「菜花 黃裏の人、晨昏 喜びて狂はんと欲す」の「狂」とは、如何なる意味かである。 1「菜花」の先行例は、唐代の二篇から始まる。初出は中唐・劉禹錫詩で、燕麦などの野草を指して荒涼たる景観を描出し、今昔無常観を表わした。晩唐・温庭筠詩に至って初めて黄色い「菜の花」を詠じた。その後、この二種の「菜花」が詠われ、「菜の花」を指す場合、自然美を強調するために「黄」を付加することになったと考えられる。 2の「狂」については、古代より数多の論述、系譜があり、孔子を初めとして忌避感は薄く、むしろ革新性を認めて高い評価を与える。漢籍に精通する漱石は、その伝統を踏まえた上で、朝夕「黄」の中にいる「喜び」を「狂」を用いて最大限に表白する。その典拠(『詩經』秦風「黄鳥」)は、秦・穆公のために殉死した若者を悼む作で、死の影が漂う。だが漱石は大地の「黄」が触発する上昇運動によって、対極的「蒼」の世界へと飛翔し、魂の到達する憧れのトポスとして夢想の礎とした。常軌を逸する「狂」というべき喜びは、その奥に「死」を内包しながらも、いやそれ故に広大無辺の蒼天への遊行を叶えたからといえよう。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390864092828853760
  • NII書誌ID
    AN00226157
  • DOI
    10.15002/00030887
  • HANDLE
    10114/00030887
  • ISSN
    04412486
  • 本文言語コード
    ja
  • 資料種別
    departmental bulletin paper
  • データソース種別
    • JaLC
    • IRDB
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用可

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