<論文>レールに身体を横たえて --鉄道自殺の技術論--

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>Laying Their Bodies on the Tracks: A Philosophy of Technology Approach to Railway Suicide
  • レールに身体を横たえて : 鉄道自殺の技術論
  • レール ニ シンタイ オ ヨコタエテ : テツドウ ジサツ ノ ギジュツロン

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説明

本稿は,日本における鉄道自殺の歴史的な経緯を検討し,技術とは何かという問いについて考察する試みである。現代の日本においては,鉄道自殺は都市に住む者なら誰でも遭遇しうる日常の一齣になっている。だが草創期の鉄道においては,それは驚くべき想定外の事態であった。ではいかにして想定外の事態は,日常の内部に組み込まれたのだろうか。日本における鉄道自殺は,以下の三つの時代に区分され,それぞれに名称が異なる。まず1870年代には「鉄道往生」と呼ばれた。この時期の鉄道を利用する人々はごく一部であり,ほとんどの者は徒歩の世界に生きていた。鉄道往生とは,徒歩の世界で困窮した人々が編み出したもうひとつの鉄道の利用方法だったのである。1900年代の鉄道自殺は,「轢死」という名称に変化する。この時期の都市では,多くの人々が鉄道を使って通勤通学するようになっていた。だがその一方で,鉄道を自殺の手段として選ぶ人々も増え,彼らの轢死体はしばしば放置された。それは目撃する者たちに衝撃を与え,鉄道がつくる日常の世界の自明性に揺さぶりをかけるものだった。1930年代になると「飛び込み自殺」が登場する。これは鉄道の乗客が列車に飛び込むという新しい事態である。この時期の鉄道は,都市のほとんどすべてを飲み込み,膨大な量の人間を毎日輸送していた。鉄道の世界の内部から登場した自殺者たちは,交通システムを撹乱する要因とみなされるようになる。こうして鉄道の世界が都市を飲み込みつくしたとき,鉄道自殺は例外的な利用方法として位置づけられ,日常の一部として組み込まれたのである。以上のような歴史から,鉄道という技術複合体が巨大な人工環境となって人間を包み込んでいることが示される。

収録刊行物

  • 人文學報

    人文學報 122 495-512, 2024-06-20

    京都大學人文科學研究所

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