中世の「土倉」に関する解釈の淵源について

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タイトル別名
  • The origin of interpretation of <i>Doso</i> in the Japanese Medieval Period

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説明

<p> 中世の「土倉」を素材にした研究の分野は、法制史のみならず、経済史・都市史など多岐に亘る。現在の「土倉」研究に関しては、戦前から戦後にかけて活躍していた豊田武や奥野高広の論に立脚しているところがある。<br> 両氏が述べる「土倉」とは、「高利貸資本家」、土倉は借上にかわる「高利貸の代名詞」、「金融機関」、「質営業の代表者」などであるとする。このことは、『国史大辞典』や『日本国語大辞典』にも引用されており、定説となっている。<br> しかし、「土倉」による質物を取って銭を貸し付けたり、多額の請料を支払って荘園の代官になるなどの行為は、京都の僧侶・在地の僧侶・土豪・商人のほか、武家や公家、またそれらの雑掌など多種多様の者にも確かめられる。とすれば、当時においてこうした行為は、誰でもしうるものであったと捉えられるのであり、「土倉」もその行為をした者の一人だったと捉えるべきだろう。にもかかわらず、従前の研究は、土倉を金融業者や質屋で商人であると分類してきたのである。<br> かかる状況を踏まえ、本稿は、「土倉」が上記のように解釈されるようになった理由について、豊田や奥野が前提にした解釈の淵源を探り、今後の諸研究に対し、「土倉」を扱う際にどのような点に気をつけるべきかということについて提起するとともに、古くからの通説も再検討すべきなのではないかという問題提起をすることを目的とする。<br> 結果は次の通りである。先述したような土倉の解釈は、その淵源をたどると江戸時代の新井白石によってなされたもので、しかも史料の誤読から生じたものであったことがわかった。その解釈は、頼山陽に引用され、明治時代の法制史・商業史研究者である横井時冬によってさらに引用された。横井が著わした『日本商業史』は、批判対象になることなく、百科事典であり、大正時代には史料集でもあった『古事類苑』にも採録され、また他の研究者も引用したことによって拡散し、現在まで継承されてきたのである。</p>

収録刊行物

  • 法制史研究

    法制史研究 68 (0), 1-25,en3, 2019-03-30

    法制史学会

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