近世の民間土工専門家・黒鍬

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タイトル別名
  • Group of Experts Specialized in Civil Engineering called "Kurokuwa" in the Early Modern Period
  • キンセイ ノ ミンカン ドコウ センモンカ ・ クロクワ

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抄録

<p>江戸時代,「ヒト」としての「黒鍬」は,幕府職制としての「黒鍬」と,川除普請や新田開発を行った土工のプロとしての「黒鍬」がいた。彼らは直接的には関係がない。天保14年(1843)に行われた印旛沼開削普請で登場した「江戸黒鍬」は,筋骨隆々で全身に刺青が描かれ,その働きは他の人夫と比べ抜群であった。彼らは,隅田川浚渫に従事していたのだろう。江戸時代後期,利根川沿いの各地にも「黒鍬」はいた。彼らは,肉体労働を行うとともに技能者として土工現場を指導していた。一方,出稼ぎの黒鍬集団の地としては尾張知多半島が有名であるが,畿内そして関東にも進出していた。 明治に入ると,鉄道などの社会インフラ整備が進められていったが,大規模工事を担う新たな土工のプロが出現した。職業分類では「土方」と整理されたが,「黒鍬」と「俠客」の中から育っていった。「俠客」は,大勢の人夫をまとめる力をもつ者として参入してきたのである。なお,土を掘削したり運んだり基礎を固める作業を意味する用語「土工」も,earth work を訳したものとして誕生した。</p>

収録刊行物

  • 水利科学

    水利科学 63 (3), 51-72, 2019-08-01

    一般社団法人 日本治山治水協会

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