近世大坂における石工・石商

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タイトル別名
  • The masonry and stone wholesale in Early modern Osaka
  • キンセイ オオサカ ニ オケル イシク ・ セキショウ

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抄録

近世の大坂には多くの石工が活動していた。天岸正男氏(天岸1979)や奇多樓各主人(本名不詳)(奇多樓各主人1934)らによって、石工の居所の略図が作られているが、本稿では『難波丸』『難波丸綱目』などの大坂案内記の 記載をもとにして、石工のみならず、石商の所在も明らかにして分布図を作成し、近世大坂の石材産業の分布傾向を検討した。その結果、石材流通については、安治川、木津川に石材の集積地があり、そこから堀川を経由し、松屋町、長堀十丁目、西長堀の権右衛門町等の石問屋にもたらされ、周辺の東横堀、長堀、西横堀、炭屋町などの石工たちに供給されていた可能性を示した。また、銅吹所と石工・石商が近い場所に立地する事例を炭屋町、茂左衛門町とその周辺に見出すことができ、重量物の運搬に舟運が適していたと考えた。18世紀中葉に石問屋が多く出現し、それに応じて石工も増加する。このような中、小島屋半兵衛や御影屋新三郎ら、京阪神一円や日本列島各地で製品が見られる大阪 を代表する石工が誕生したと考えた。

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