朱舜水がもたらした連帯原理の「僕」

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タイトル別名
  • シュシュンスイ ガ モタラシタ レンタイ ゲンリ ノ 「 ボク 」

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抄録

<p>江戸初期、漢文ブーム時代、明の亡命儒者朱舜水と日本の儒者との間に「生きた漢文」の学習が始まった。朱舜水と日本の儒者・儒生とのあいだで交わされた書簡その他に「僕」が多数観察される。しかし、「僕」は、他の漢語自称詞(「拙者」など)に遅れて江戸中後期になるまで日本語の書簡では使われなかったことがわかっている(れいのるず2018)。そこで、朱舜水を中心とする儒生との漢文筆語環境でかなり頻繁に使われていた「僕」が同時期の日本語書簡では使われなかったのはなぜかが問題になる。本稿では、江戸初期の厳しい身分制度支配の文化のなかでは連帯原理の人間関係を表現すること自体に抵抗があり、日本語コンテクストでは「僕」を使えなかった、とする。そして、やがて身分制度が崩れ始めた江戸中期、漢文和文のバイリンガルたちが漢-和コードスイッチ文を創出し、それを媒体にして「僕」を日本語化したのだ、と説明する。日本語化が進行した時点からは、尊王攘夷の志士たちの書簡において連帯を呼びかける自称詞として「僕」が急速に広がっていったこと(れいのるず2018)に意味的に自然につながる。「僕」が漢語において連帯の自称詞であったとするならば・・・。</p>

収録刊行物

  • ことば

    ことば 41 (0), 122-138, 2020-12-31

    現代日本語研究会

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