鎌倉後期幕府訴訟における「召文違背の咎」

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タイトル別名
  • The punishment for ignoring subpoenas un der the litigation system of the Kamakura Bakufu
  • カマクラ コウキ バクフ ソショウ ニ オケル 「 ショウブン イハイ ノ キュウ 」

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説明

鎌倉幕府訴訟研究では、鎌倉後期の職権主義台頭が理非の軽視を示すものとされてきた。出廷しないものを敗訴とする「召文違背の咎」はその最たるものとされ、同咎適用裁許(以下「召文違背裁許」)は一方的裁許と論じられてきた。しかしこれは、幕府の滅亡を説明しようと召文違背行為を過大視し、また「召文違背の咎」適用過程における訴人側の動きを捨象した議論である。さらに、職権主義が即ち理非の軽視であるとする通説にも疑問が残る。そこで本稿では、鎮西探題の事例を中心に、「召文違背の咎」の再検討を行う。<br>  第一章では「召文違背の咎」適用過程の復元を試みた。「召文違背の咎」適用過程は、訴人の裁許要請により開始されるが、鎮西探題がそれをそのまま受け入れて召文違背裁許を下すことはなく、探題が使節に「違背実否」を尋問させる手続を原則経由していた。<br>  第二章ではかかる手続の意味を検討した。召文の伝達は訴人に委ねられていたため、訴人が召文を取り隠して論人の召文違背状況を創り出し、論人を「召文違背の咎」に陥れる戦術をとり得た。探題の「違背実否尋問」は、かかる訴人の戦術を阻止し、自ら論人の召文違背を確認する意味を有した。また召文違背裁許は確定力を有したが、これは、「違背実否尋問」による慎重な確認を通じて、論人の「承伏」を認定できたからだと考えられる。<br>  第三章では、「違背実否尋問」の限界や、それに対する探題の対策を考察した。「違背実否尋問」は、使節の難渋や論人の無反応により機能しないことがあり、また訴人が「違背実否尋問」後の論人請文を取り隠して論人を「召文違背の咎」に陥れる動きもあった。かかる限界に対し、探題は「違背実否尋問」を繰り返し行うという対策を講じていた。<br> 以上から、「召文違背の咎」適用過程では、訴人の主体的な制度利用と探題の慎重姿勢が交錯しており、通説の如くこれを幕府による理非軽視と評価するのは妥当ではない。

収録刊行物

  • 史学雑誌

    史学雑誌 133 (6), 1-36, 2024

    公益財団法人 史学会

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