旧ソ連邦の中等分科理科教育を支えたもの

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  • Scientism and the Separated Science Teaching System in the Former Soviet Union
  • キュウ ソレンポウ ノ チュウトウ ブンカ リカ キョウイク オ ササエタ モノ

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抄録

<p>旧ソ連邦では,社会主義社会建設の要求から発せられた工業化の要求に対応するために,自然科学を習得した人材が求められ,それは学校に対して科学の基礎を子どもたちに習得させることを要求した。その結果,1930年代には労働を中心とした生活経験主義的総合教育は科学の基礎の習得という要求に合わないものとして否定され,代わって分科理科教育が採用された。この科学の基礎を重視する姿勢は,その後の工業化の進展の中で強化され,さらに科学技術革命の認識の下で人間形成の面からも強力に求められるものであった。そしてそのような科学の基礎を重視する姿勢が,一貫して維持されただけでなくさらに強化されていったことが,旧ソ連邦において科学の基礎を習得するための分科理科教育体制を堅持させることに直接つながっていったと考えられる。さらに科学の基礎を重視する姿勢の背景には,自然科学の役割を重視し,自然科学によって生活や社会が発展するという意味で,科学主義の存在を指摘できる。1930年代の分科理科教育の導入は、旧ソ連邦における科学主義に基づく理科教育の始まりであり,その後この科学主義の考え方が普及,強化されていくとともに,分科理科教育は確固たる地位を占めていったと見ることができる。すなわち,1930年代以降の旧ソ連邦においては,科学主義を背景として科学の基礎の習得が一貫して求められ,そのことが中等分科理科教育体制の堅持を支えていったと考えられる。</p>

収録刊行物

  • 理科教育学研究

    理科教育学研究 45 (2), 53-60, 2004-09-17

    一般社団法人 日本理科教育学会

被引用文献 (1)*注記

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参考文献 (22)*注記

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